『じゅうぶん豊かで、貧しい社会:理念なき資本主義の末路』

基本情報

書名著者読了日評価分野
じゅうぶん豊かで、貧しい社会:理念なき資本主義の末路エドワード スキデルスキー, ロバート スキデルスキー2021年1月23日⭐️⭐️⭐️⭐️Development

読書メモ

現代の西洋資本主義社会は豊かだが、”理念”を欠く―筆者のメッセージはそこに尽きると思われる。
ケインズ研究者の筆者は、1930年に発表された”孫の世代の経済的可能性”という論考(人類は十分豊かになり、労働時間を減らすだろう)から出発し、それが達成されていない理由を解き明かしていく。消費はウェブレン効果により、顕示的消費になり、欲望は収まるところを知らない。古来からあった浪費は悪だという宗教的な倫理感は、学問の発展と共に骨抜きにされた。その最たるものが経済学で、”効用の最大化”を求め、どう生きるべきかについては明確に”価値中立的”な立場をとる。(”幸福の最大化”を求める近年の議論も、それが主観的幸福にとどまっている限り、同じことである。)それはロールズ以降の哲学も同様で、センやヌスバウムの潜在能力アプローチも、潜在能力の最大化を越えて、結果として実現した人生のよさまでは扱わない。
筆者は、どう生きるべきかについて”価値中立的”であるべきではない、と説く。よい生き方という結果を構成する7の要素(健康、安定、尊厳、人格の確立、自然との調和、友情、余暇)を基に、格差の縮小やベーシックインカム、社会的介入政策の必要性を提唱する。近年の”Great Reset”にもつながる論点かもしれない。貪欲を悪とするような”道徳的理念”から逃げる(中立を装う)べきではない―この主張には大いに共感した。

一言コメント

経済学は客観的・科学的を装うために、”ホモ・エコノミクス”という仮想の存在を想定し、効用の最大化を目指しますが、「それは仮想の存在に過ぎない」ことがいつからか忘れられてきたように思います。客観的であろうとする学問が道徳の領域に踏み込むことは困難も伴いますが、社会科学である以上、純粋に”記述的”であろうとすることは不可能であるし、望ましくもないのだろうと感じます。
2022/3/5

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