『サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福』『サピエンス全史(下) 文明の構造と人類の幸福』

基本情報

書名著者読了日評価分野
サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福yuval noah harari2021年4月29日⭐️⭐️⭐️⭐️History
サピエンス全史(下) 文明の構造と人類の幸福yuval noah harari2021年4月29日⭐️⭐️⭐️⭐️History

読書メモ

(上)
これほど弱いホモ・サピエンスがなぜ生物界の覇者になれたのか―。圧倒的な知性が、ホモ・サピエンスの歴史を解き明かす。当初ホモ・サピエンスはサバンナの弱者で、死肉を漁る取るに足らない存在だった。そこから、他の人類種を全て滅ぼし、過去に例がないほど生態系を破壊するに至らしめた最初の力は認知革命だ。虚構の物語を作り出し、顔も知らない人々が協力し合うことで、個々の力では劣っていても生態系の覇者になることができた。認知革命の次にきたのが農業革命。農業革命は、ある意味で、ホモ・サピエンスが小麦に家畜化される過程でもあった。人口増大で、個体の生活は過去より惨めなものになったが、種としての成功は確かなものになった。農業革命と同時に、想像上のヒエラルキーが生まれ、現代にも続く差別の構造が生まれていった。農業によって生産性が高まったホモ・サピエンスは、世界中を統一していった。この統一に大きな力を発揮したのが貨幣と帝国である。この二つの虚構はホモ・サピエンスを普遍的な方向に向かわせ、”純正な文化”なるものはもはや存在しえない。
筆者に言わせれば、ホモ・サピエンスは特別でもなんでもはなく、小さな偶然によって大きな力を手にした一つの種に過ぎないのだ。そして、家父長制に全く根拠がないのと同じように、人権や貨幣といった虚構にも根拠はない。ただし、虚構を信じることがホモ・サピエンス最大の力である。我々が信じている”普遍的価値”を虚構だと説くことはポストモダンにもつながるように思えるが、”伝統的な文化”さえも存在しないのだと主張していることで一線を画しているのではないか。すべては虚構だと説きながらも、シニカルで悲観に満ちた書には見えないのは、”虚構”こそが人類の力であると、淡々とした筆致で描き上げているからなのだろう。

(下)
前巻に引き続き、どのようにしてホモ・サピエンスが覇者となったかを語る。キリスト教などの宗教に大いなる力があることは間違いないが、その宗教が現代まで残っているのは偶然の産物に過ぎない。もはや当然となっている人間至上主義もまた宗教で、その中に「自由主義的な人間至上主義」「社会主義的な人間至上主義」「進化論的な人間至上主義」がある。20世紀のイデオロギー対立も、宗教対立と似たようなものなのだ。ホモ・サピエンスが獲得した最後の武器は”科学”。”科学”は進歩主義を生み、帝国と資本主義と結びつき、世界を支配する圧倒的な力をヨーロッパにもたらした。科学は人々の生活を遥かに改善した一方で、幸福度はさほど変わっていない。それでも、農業革命と同じように、科学革命と資本主義はあまりにも力があるので、後戻りすることはできないのだ。そんな力のある科学は、人類を超越させる方向に進もうとしている。覇者となったホモ・サピエンスはどこに向かうのか。この先は『ホモ・デウス』で描かれる。
ホモ・サピエンスの大きな歴史を徹底的に冷静な視点から描いた本。深い思考に感銘させられる。

一言コメント

昔読んだ本の再読です。人類史を大局的に語るというのは挑戦的な試みですが、それに見事に成功しているように思います。人類をサバンナの死肉漁りから生物界の覇者に至らしめたのは”虚構を信じる力”だという主張は深く心に残りました。”虚構”は数々の暴力や死を生んだものではありますが、それでも人類は”虚構”と共に生きていくしかないのでしょう。今の私たちが信じる諸価値さえも”虚構”だとするならば、全く”虚構”は愛しくも憎い不思議な存在です。
2022/4/30

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です