『ホモ・デウス 上 テクノロジーとサピエンスの未来』『ホモ・デウス 下 テクノロジーとサピエンスの未来』

基本情報

書名著者読了日評価分野
ホモ・デウス 上 テクノロジーとサピエンスの未来yuval noah harari2021年5月4日⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️Philosophy
ホモ・デウス 下 テクノロジーとサピエンスの未来yuval noah harari2021年5月5日⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️Philosophy

読書メモ

(上)
人類が神になる未来を描く。飢饉と疫病と戦争は過去ずっと人類にとって最大の課題だったが、人類はそれらを克服しつつある。未だ残る場所も当然あるが、少なくともそれらは今や人智を超えた神の怒りではなく、人間の失策の結果とみなされている。生物学的限界を克服した人類は次にどこに向かうのか。それは、幸福と非死。自らを神にアップデートしようとするのだ。本書は前著サピエンス全史の内容を振り返り、人類の歴史を紐解くところから始まる。人類は他の生物をまるで情動を持たないアルゴリズムのようにみなし、家畜化という形で完全に支配した。これによって、家畜の主観的欲求は無視されるようになった。それを実現した人類の強さは虚構を信じる力である。今の社会は科学と人間至上主義という宗教が固くタッグを組むことで成っている。そうした人間至上主義の先に何があるのか。それが下巻で明かされる。

(下)
下巻は上巻に引き続き、今の社会を構成する思想から始まる。現代最大の特徴は、成長を誰もが信じていることである。これによって、信用が生まれ、資本主義社会が発達した。前巻でも登場した人間至上主義は、自由主義という形をとり、個人の主観こそが最も重要だという大原則を生んだ。人間至上主義は、社会主義的人間至上主義と進化論的人間至上主義という分派を生み、20世紀には血なまぐさい宗教戦争が展開されたが、根源はいずれも同じである。自由主義は最終的に勝利し、伝統的な宗教はこの代替になるべくもない。しかし、21世紀に入り、独立した個人の自由を前提とする自由主義的人間至上主義が崩壊しつつある。最新の脳科学の知見によれば、自由意志などなく、ただ確率的・決定論的な生化学的プロセスが存在するだけである。AIの発展により、今まで以上に多くの人々の仕事が奪われ、無産階級を生む可能性が出てきている。データとアルゴリズムは本人以上にその人のことを把握するようになっている。それでは、これから人類はどんな宗教を信じるようになるのか。一つはテクノ人間至上主義である。それは、テクノロジーによって、人類の持つ欲望や情動を叶えることを目指す宗教だ。ただし、テクノロジーで人間の自由意志までも制御できてしまうとなると、何を目指すべきかわからなくなるという課題を含んでいる。それより有力なのはデータ教で、あらゆるものの価値はデータによって決まってくるという宗教だ。人間を含めて生き物はアルゴリズムであり、生命はデータ処理である。意識を持たない高度なアルゴリズムが全てを知る。そんな時代になると人類固有の価値など完全になくなってしまうだろう。
本書では、ありふれたトランスヒューマニズム論を超える視座を持った議論が展開されている。データ教の世界、人類の価値が否定された世界は恐ろしいが、そうした世界にしないためにどう考えるか、筆者はその問いかけを全ての人にしているのだろう。少なくともホモ・デウスの未来はSFではなく、真摯に向き合うべき現実だ―。それだけは間違いない。

一言コメント

ハラリの有名な本の再読です。人間が神を目指すという未来が、決しておとぎ話の世界ではなく、現実のものとして迫っているということがよく分かります。同年代の大多数は少なくとも後50年は生きると考えるならば、どこかで人間自身の在り方について自分事として向き合わなくてはならないかもしれません。未来は予想より遥かに現実的だった、という可能性も一方であるわけですが。
2022/5/1

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