基本情報
書名 | 著者 | 読了日 | 評価 | 分野 |
二重に差別される女たち | ミッキ・ケンダル | 2021年11月23日 | ⭐️⭐️⭐️⭐️ | Sociology |
読書メモ
この文章は「わたし」の怒りそのものだ―。
本書の著者はアメリカに暮らす黒人女性。近年フェミニズム運動が盛んになっているが、その「連帯」はあくまで白人女性にとどまっていて、黒人女性が排除されていることを筆者は糾弾する。黒人であり、女性であることは、人種差別とジェンダー差別の2重の差別を受けることを意味していて、メインストリームで声を上げることさえ許されていない。
筆者はそんな「2重の差別」を自らの生々しい経験に基づいて語っていく。筆者は貧しい「フッド」に生まれたが、偶然にも十分な社会的地位を手に入れることができた。しかし、一歩間違えれば全く人生の方向性が異なっていたであろう出来事に何度も遭遇している。それは、周囲の環境や社会的な抑圧により、黒人女性として生きることは非常に厳しいためだ。
本書に一貫しているのは「わたし」の怒りである。「何かを主張する上では、主観的な意見は極力排除するべし」というのが、近代社会の暗黙のルールだった。しかし、本書は驚くほど「わたし」という言葉が多用されている。それによって、本書は人の心を打つ強い力を持っている。
「客観的であるべし」ということ自体、実は強者の抑圧の手段に過ぎないのかもしれない。そして、社会を変えるのはきっと、客観的ぶって何も言わない傍観者ではなく、「怒れるわたし」なのだ。非常に心に残る本だった。
一言コメント
社会問題を糾弾した本は数多くあれど、これほど1人称が多用された本を他に知りません。アメリカで黒人女性として生きる彼女のエピソードには、殴られたような衝撃を受けます。是非広く読まれてほしい本です。
2022/5/4