『実在とは何か』

基本情報

書名著者読了日評価分野
実在とは何かアダム・ベッカー2021年10月9日⭐️⭐️⭐️Science

読書メモ

量子力学は20世紀物理学最大の成果と言っても過言ではないだろう。その理論予測は正確で、極めて実用的な学問でもある。しかし、量子力学の根底には全く未解決の謎が広がっている。それが、解釈問題だ。
本書は量子力学の解釈問題を巡る、偉大で魅力的な物理学者たちの物語である。
20世紀初頭に発展した量子力学理論だが、奇妙な実験結果と直面した。あらゆる物質が、波と粒子の二つの特徴を持ち、我々の観測が振る舞いに影響を与えているようなのだ。そうした中でも、高い予測精度を誇る量子力学理論は一体何を表しているのか。コペンハーゲン解釈はこう答える。量子力学理論はただの観測ツールで、世界の実在について何かを教えるものではない。量子論的な世界など存在しない、と。
ある意味真理から逃げているように見えるコペンハーゲン解釈だが、その後の物理学において圧倒的な正統となった。これは量子力学創世記のスター、ボーアによって擁護されたことが大きい。アインシュタイン、シュレディンガー、ボームと言った高名な物理学者が異を唱えても状況は変わらず、コペンハーゲン解釈の下では存在しない「量子力学の解釈問題」を研究する科学者は異端として排斥された。エヴェレットの多世界解釈も無視された理論の一つである。
潮流が変わり始めたのはベルの定理を唱えたベルの登場以降である。彼はベルの不等式を考案し、自然の局所性と量子力学理論で示された量子もつれの間の奇妙な関係の正否について実験で示すことができると主張した。後年の実験でベルの不等式は破れていることが示され、非局所性からの量子力学理論に対する批判―アインシュタインのEPR論文―は正しくないことが明らかになったが、ベルの理論と続く実験は既存のコペンハーゲン解釈を大きく揺るがした。その後宇宙論の時代の開始と共に、量子力学の解釈問題は再び日の目を見るようになり、エヴェレット解釈を含め、様々な解釈が提案されるようになっている。
本書は多くの人物が登場する壮大な科学物語である。客観的な科学の世界においてさえ、「圧倒的な正統理論」が生まれ、批判者を抑圧することが厳然と存在したということは、科学者であっても純粋に偏見から自由ではないということを示しているだろう。量子力学は、そんな構造さえも生み出してしまうほど、人類にとって圧倒的な未知であったのかもしれない。今後の議論・探究が気になって仕方ない。

一言コメント

量子力学の解釈問題を巡る科学史を書いた本です。今また様々な理論が生まれ、盛り上がりを見せている解釈問題ですが、今世紀中に進展がみられるでしょうか。原理的に実証しようがないとされている理論も多いですが、ベル実験のような天才的なアイデアがまだ眠っているかもしれません。
2022/5/4

『生物と無生物のあいだ』

基本情報

書名著者読了日評価分野
生物と無生物のあいだ福岡伸一2021年10月3日⭐️⭐️⭐️⭐️Science

読書メモ

熱力学の第2法則―エントロピー増大則―に支配された、常に無秩序に向けて拡散し続ける世界。そんな世界に存在する秩序ある不思議な存在が生物である。
本書は、筆者の研究エピソードを交えながら、そんな生物の本質に迫る。筆者の唱えるコンセプトは分かりやすい。「動的平衡」だ。
生物を構成する物質は日々変化し続けており、動的である。しかし、物質レベルでは動的であっても、総体としては確かな秩序が保たれている。一見矛盾するような「動的」と「平衡」が両立している。これは、分子と比べると生物が遥かに大きく、極小な分子レベルでの絶え間ない拡散、エントロピー増大が、総体レベルの秩序には影響しないことによる。
また、筆者は後半で、ノックアウトマウスの事例も説明する。特定の遺伝子をノックアウトすることで、ある機能を失わせようとしたが、周囲の相補性によって、全く正常に機能しているように見えたのである。
本書を通じてわかることは、全く生物とは不思議な存在だということだ。生物は決して個々の分子レベルに還元できるものではない。エントロピー増大則にしたがって分子レベルでは日々入れ替わっているし、特定分子を失っても総体としては変わらず機能し続ける。「分子の集合を越えた、総体的な秩序を持つ何か」、そんな曖昧なものが生物の本質なのだろう。そこに生物の神秘性を感じてしまうのは、自分の中にも物質的還元論に抵抗したいという思いがあるからなのかもしれない。

一言コメント

生物とは全く不思議な存在です。マクロがミクロの集合を超えた総体である―というのは、生物だけではなく人間社会にも当てはまる事象ではないでしょうか。生物とは部分に還元できない複雑系のシステムで、だからこそ難しく、愛おしいように思います。
2022/5/4

『デジタル化する新興国』

基本情報

書名著者読了日評価分野
デジタル化する新興国伊藤亜聖2021年10月2日⭐️⭐️Economics

読書メモ

近年新興国のデジタル化が一層進んでいる。新興国はこれからどこに向かっていくのだろうか。新興国ではインターネットユーザーの増加に比例して、デジタルサービスが次々に生まれている。一方で、権威主義国家によるデジタル技術を用いた監視や、過大なプラットフォーム企業の影響力が生まれてもいる。
新興国にとってのデジタル化の可能性は何だろうか。例えばマッチングビジネスは新興国で未だ残る信用の問題を解決し得る。こうした社会課題を解決するビジネスに必要な技術は決して高等ではない。大事なのはR&D&Dの最後のD、Deployなのだ。技術では遅れていても、社会実装であれば新興国でもポテンシャルは大きい。デジタル化においては、過去の開発論で語られた「後発性の利益」が働いていると見ることもできる。先進国で登場したビジネスモデルを利用することで成功しているサービスは多い。
一方、新興国にとってデジタル化のリスクもある。多くのサービスが生まれているとはいえ、クラウドといったインフラ部門は変わらず先進国が独占している。デジタル化が雇用にプラスの影響を与えるとは限らない。ギグ・エコノミーはデジタル・インフォーマル雇用を生み出し、その不安定性は多く批判されている。また、プラットフォームビジネスにおいてはネットワーク外部性が強く働くため、中国を含む先進国企業のサービスによる独占及び優越的な立場を利用した個人情報の侵害が発生するリスクがある。中国のような「デジタル幼稚産業保護」が産業政策として有効なのかもしれない。また、中国はデジタル権威主義的なモデルを各国に輸出し、コロナ禍でこの流れは一層高まるリスクがある。
このようにデジタル化には功罪があるが、この流れに対し日本は何ができるだろうか。今のところ、日本は明確な役割を果たせていないように思える。今後重要なのは社会実装であり、「手を動かし、足を使って」新しいサービスを体験していく姿勢が求められているのだ、と筆者は説く。

一言コメント

個人的に関心の強い新興国×IT論です。必要なのは高い技術力というより、社会実装力というのは大いに同感です。デジタル化は新興国にとって夢の解決策とはなりえないかもしれませんが、それでも何を変える力があると信じます。
2022/5/4

『保守主義とは何か』

基本情報

書名著者読了日評価分野
保守主義とは何か宇野重規2021年9月26日⭐️⭐️⭐️Politics & Law

読書メモ

保守主義―その言葉は近年あまりにも安易に用いられているが、本書ではその本来の意味を問い直す。
保守主義の源流はフランス革命に反対したエドマンド・バークだと言われる。バークは、イギリス議会主義による漸進的な自由の拡大には賛成しつつも、フランス革命の急進的な改革には反対した。イギリス議会主義の伝統という守るべき価値があっての保守主義であったのだ。
進歩があっての保守主義は、時代と共に必然的に変質する。20世紀になると、新たな進歩の考え方として社会主義が登場した。対して、T・S・エリオットは過去から引き継がれた伝統・文化の価値を強調した。ハイエクは自由主義者の立場から、集権的な経済管理に反対した。「階層的な秩序を根拠なく守ろうとする」のではなく、「理性への過信を批判し、漸進的な改革を主張する」立場として保守主義を捉えるのであれば、彼もまたバークの本流を引き継ぐ保守主義者であった。オークショットは西欧が過度に変化を追い求めたことを批判した。彼は特定の宗教や世界観に基づくものではない開かれた伝統を強調していて、一方でリベラリストとして理解されるべき思想家でもあるが、合理主義批判という立場からは本書でいうところの保守主義の伝統を見出せる。20世紀後半になると、いわゆる大きな政府、社会民主主義的なモデルが進歩の考え方として台頭する。これに異を唱えたのがカークである。カークは『保守主義の精神』の中で、性急な改革への批判に加え、キリスト教的な超越性への信念、所有権の絶対性を共存させており、以後のアメリカ保守主義に引き継がれた。アメリカ保守主義は、宗教的伝統の強調と、独立した個人の強調(経済的リバタリアニズム)に特徴があり、ヨーロッパ的な保守主義とは一線を画している。こうした考え方は、21世紀のティーパーティー運動でも繰り返し述べられ、現在も共和党の中心的な主張になっている。また、20世紀後半からは独自のネオコンの考え方がアメリカで力を持った。クリストルを創始者とするネオコンは、リベラル反共主義から出発し、民主主義的な価値を国際社会で広めようとする特殊な外交的リアリズムを特徴とする。
一方日本においては、長らく保守するべき自由の体制が存在しなかった。伝統的な政治体制は西洋と比べて遅れており、反動主義はあっても保守主義とはなりえなかったのだ。丸山眞男は、日本に守るべき正統がなく、自覚的な保守主義が定着しなかったことを批判している。戦後は保守の自由民主党が力を持ったが、明確な保守主義の理念があったわけではなく、「反共」と「経済成長」のみを共通項とした寄せ集めの集団だった。その2つが揺らぐ中で、保守主義の政党として何を保守するべきかが問われている。
筆者は最後、21世紀にあるべき保守主義を考察して本書を終える。先が見えない時代において、歴史的に築き上げてきた社会の伝統、価値観を大切にする保守主義に求められることは多い。一方で、保守主義は、安易な伝統主義に陥るのではなく、多様性に開かれ、自由で創造的なものであるべきだ、と。
リベラリズムの過度な理性批判、伝統批判、変化の受容を抑制し、漸進的な改革を求める立場としての保守主義を捉えるのならば―、その重要性は非常に高いに違いない。

一言コメント

伝統的な社会が大きく揺らぐ現代、保守主義が強く求められていることは間違いないと思います。安易な排外主義、無批判での伝統固執が保守主義の皮を被っているのが残念な現状ですが、本書を読んで保守主義の源流に立ち戻ってみると、その思索と伝統の深味を感じます。とても学びの多い書でした。
2022/5/4

『ノーベル文学賞を読む』

基本情報

書名著者読了日評価分野
ノーベル文学賞を読む橋本陽介2021年9月23日⭐️⭐️⭐️Literature

読書メモ

ノーベル文学賞は言うまでもなく、人類最高の文学者に送られる賞である。一方、日本でノーベル文学賞の受賞者に対する知名度はあまりにも低い。ノーベル文学賞に対しての話題と言えば、日本人が受賞するかと、ノーベル文学賞の政治性への批判くらいである。本書は、文学研究者の筆者がノーベル文学賞受賞者の作品の魅力を語る。
ノーベル文学賞受賞者の作品の特徴の一つは文体にある。カネッティの『眩暈』は、複数の人物の内面が自由間接話法で書かれるが、どの人物の思考も狂気を含んでいる。客観的で正常な語り手はどこにもいない。人間の理性の限界と自己中心性を見事に表現したものだと言えるかもしれない。ガルシア=マルケスの『百年の孤独』もマジックリアリズムとして知られる表現技法に特徴がある。事実が淡々と書かれているが、普通に考えればあり得ないようなことが、当たり前のように登場する。また、時間を越える表現の使い方も見事だ。冒頭からフラッシュフォワードの技法が使われる。物語を通じて同じことが繰り返され、円環的時間を描き出す。
ノーベル文学賞受賞者の作品のもう一つの特徴は文化的越境性とマイノリティの視点である。トニ・モリスンは「黒人」「女性」作家として作品を生み出した。『ビラウド』は奴隷解放直後の黒人女性の物語である。黒人たちがアメリカで人間として生き始める物語を見事に書き上げた。オルハン・パムクは『黒い本』などの中で、西洋と非西洋の間で揺れるトルコ人の複雑なアイデンティティを表現している。
本書では他にも高行健やクッツェー、カズオイシグロと言った作家の作品が紹介されるが、どれも魅力的だ。もちろん受賞者に地域的な偏りは存在しているが、グローバルな文学として評価されている文学には、それだけの理由がある。

一言コメント

ノーベル文学賞作家の作品であっても日本ではほとんど読まれていませんが、どれもが強い魅力を持っているということが分かります。なるべく多く文学の傑作を読んでいきたいですね。
2022/5/4

『ハプスブルク家12の物語』

基本情報

書名著者読了日評価分野
ハプスブルク家12の物語中野京子2021年9月20日⭐️⭐️⭐️History

読書メモ

650年もの間ヨーロッパの歴史の中心にいたハプスブルク家、その物語を数々の名画を交えて解説する。
ハプスブルク家の奇跡はルドルフ1世から全てが始まった。その後、ハプスブルク家は婚姻によって勢力を拡大する。いつからか「戦争は他の者に任せておくがいい、幸いなるオーストリアよ、汝は結婚すべし!」という家訓が生まれたとも言われる。栄華を極めたとはいえ、そんな権力闘争と政略結婚に明け暮れた家の人々が皆幸せだったわけもない。
夫と父の対立に巻き込まれたフアナは狂い、50年近くに渡って幽閉された。そんな悲惨な人生を歩んだ彼女だが、一方で日の沈まぬ世界帝国を築いたカール5世を生んでいるのは歴史の皮肉というほかない。カール5世も最多の肩書を持った皇帝として活躍したが、戦争に明け暮れた生涯は幸せなものではなかっただろう。一時は栄華を極めたスペイン・ハプスブルク家も、近親結婚の繰り返しによりあまりにも血が濃くなった結果、破滅へと向かう。ラス・メニーナスに描かれたマルガリータの息子カルロス2世は、濃すぎる血によって子供を残せない体だったのだ。
ハプスブルク家のもう一つの物語はオーストリア・ハプスブルク家にある。マリア・テレジアは宿敵フリードリヒ2世と戦い、卓越した政治手腕で難しい国際情勢の中を生き抜いた。しかし、そんな彼女も娘たちには幸せを与えることができなかった。最も有名な娘マリー・アントワネットは、憎きオーストリア女として断頭台に消えていった。事実上オーストリア・ハプスブルク帝国最後の皇帝だったフランツ・ヨーゼフの人生もまた壮絶だった。弟がメキシコで死に、跡取り息子が心中、妻のエリザベートも暗殺され、甥のフランツ・フェルディナンドもサラエボ事件で暗殺された。容赦ない歴史の流れの中で何とかハプスブルク家の栄華を取り戻そうとする皇帝の人生のなんと孤独で空しいことだろう。
長いハプスブルク家の物語。人を惹きつけてやまないのは当然だ。

一言コメント

ヨーロッパの歴史に燦然と名を刻んだハプスブルク家の歴史本です。ハプスブルク家は栄華を極めた一方で、近親婚の繰り返しによる悲劇が生じてもいました。栄華の裏には影がある―その2面性が歴史の魅力だと思います。
2022/5/4

『植物はすごい 七不思議編』

基本情報

書名著者読了日評価分野
植物はすごい 七不思議編田中修2021年9月20日⭐️⭐️⭐️Science

読書メモ

本書は身近な植物の不思議を語る。
サクラはなぜ春に開花するのか?そんな何気ない疑問の裏にも理由がある。夜の長さを検知して開花時期を見計らっているのだ。
トマトやトウモロコシ、イチゴ、どの身近な植物にもよく考えると不思議がたくさん詰まっている。
全ての植物の仕組みには理由がある。気軽に読める本だが、植物の知恵を知ることは本当に面白い。

一言コメント

気軽に読める本で、感想文も短めです。植物って面白く、すごいですよね。植物についてもう少し学びたいと感じます。
2022/5/4

『フラットランド』

基本情報

書名著者読了日評価分野
フラットランドエドウィン・アボット・アボット2021年9月19日⭐️⭐️⭐️Literature

読書メモ ※ネタバレを含みます

2次元の世界―フラットランドーに生きる主人公の物語。フラットランドでは全てが2次元なのだが、2次元に適合した社会が存在している。2次元では前から見ても全てが線に見えるので、周辺の暗さで相手の形を判断する。角が多いほど高貴な存在とされ、円が聖職者階級として崇められている。
そんなフラットランドの住人だが、ある時1次元のラインランドの世界に出会う。ラインランドでは全てが1次元だ。ラインランドの住人に世界は2次元であると伝えるが、全く理解してもらえない。その後、主人公は3次元スペースランドの住人「球」に邂逅する。最初「球」がどれだけ言葉で世界は3次元だと説明しても、主人公は全く理解できない。実際にスペースランドに連れられて初めて、主人公はスペースランドの存在を信じる。
そんな主人公は、世界はスペースランドだと同じフラットランドの人たちに説明するが、全く理解されず、狂った住人だと扱われる。まさにラインランドの住人が全くフラットランドの世界を理解できなかったように―。
私たちと全く異なるフラットランドの世界をゼロから構築したアボットは天才としか言いようがない。現代物理学では世界の次元が11次元と説明されることがあるが、実際にその次元の住人から見た私たちスペースランドの住人はどう見えるのだろうか。
次元の高い世界を全く理解できないラインランドやフラットランドの住人。将来人間が圧倒的な未知に出会ったとき、同じような反応を示すのだろうか。短く面白い物語でありながら、深い洞察が感じられる傑作。

一言コメント

2次元の世界を構築できる想像力に驚かされました。3次元の世界の住民が2次元の世界の住民に3次元の存在をどれだけ語っても理解されなかった、というのは示唆に富んでいるように思います。人類も未知に対してどう振る舞うかが問われています。
2022/5/4

『ジェンダーと脳』

基本情報

書名著者読了日評価分野
ジェンダーと脳ダフナ・ジョエル, ルバ・ヴィハンスキ2021年9月19日⭐️⭐️⭐️⭐️Science

読書メモ

本書の主張は一つ。男脳と女脳などというものは存在しない、あるのは「男性に多い特徴」と「女性に多い特徴」の両方を持っている「モザイク脳」だけなのだ―と。
ジェンダー平等が進む現代でさえ、厳然たる性差が脳に存在しているという主張は、科学界において根強く残っている。歴史を振り返ると、男性の方が優れているという信念に対し、裏付ける「科学的証拠」を提供するのが「科学」の役割であったといっても過言ではない。そうした「科学」は差別や偏見を正当化する。本書は、男女の脳は異なる(それゆえに男女の間の不平等は正当化されうる)という伝統的な考え方とは全く異なる仮説を提示する。
確かに男女の間に違いはあるし、脳についても、「男性らしい」特徴と「女性らしい」特徴があることは間違いない。そうは言っても、男女の脳というものは「男脳」と「女脳」に明確に二分化されるものなのだろうか。筆者は「そうではなく、人の脳はモザイクなのだ」と説く。人間の脳には可塑性があり、脳は日々書き換わる。脳には確かに「男性らしい」特徴と「女性らしい」特徴があるが、すべての人はその両方の特徴を重ね合わせて持っているのだ。
真実はモザイクなのに、未だにジェンダーというバイナリーの考え方は強く残っている。ジェンダーステレオタイプは、様々な経路を通じて、実際に差異を現実のものにしてしまう。このジェンダーという神話は私たち全員を枠にはめ込み、「自分らしさ」を傷つけているのだ。
この神話に対抗するには、ジェンダーバイアスに気づき、それを取り除くための努力を続けることが必要だ。
誰もがモザイク脳を持つ世界で、「自分らしさ」を生きられるようにするーそんな理想の世界を目指すために、本書が提供する新しい「科学的証拠」が果たす役割は非常に大きいのではないか。希望を与えてくれる一冊。

一言コメント

人間の脳はモザイク脳で、男脳、女脳などというものはない、というのは非常に勇気づけられる研究結果であるように思います。誰もがそれぞれ脳の特徴や傾向を持ちつつも、それが尊重されて生きていける社会になればいいなと思います。
2022/5/4

『探究する精神』

基本情報

書名著者読了日評価分野
探究する精神大栗博司2021年9月18日⭐️⭐️⭐️Science

読書メモ

理論物理学者の筆者が、自らの半生を振り返った本。
多くの本を紹介しながら人生を振り返るが、広く学び、探究心を持ち続けたことが、今の成功に至るまでの道を支えたということがよく分かる。
最後の章では、基礎科学の意義を説く。基礎科学は短期的な効果を求める目的合理的な行為ではなく、それ自体に価値がある価値合理的な行為である。それゆえ、純粋な探究心がそれを推進させるモチベーションになっている。基礎科学は確かに短期的には役立たたないが、長期的には大きな価値を持つ可能性があり、それゆえ無視できないものである。
基礎科学者は、自らの探究心・好奇心を満たすために「役に立たない」科学に多くの時間とお金を投じている。筆者は、その責任を自覚しながら、今後も基礎科学発展のために尽力する覚悟を語って本書を終える。
多くの基礎科学者が同じような想いを持ち、社会全体でそれを支えていく、そんな社会になってほしい。

一言コメント

卓越した理論物理学者が自身の半生と学問への想いを語ります。内容は理解できないなりにも、せめて社会で基礎科学を支えるような気持ちを持っていたいですね。
2022/5/4