『物理学者のすごい思考法』

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書名著者読了日評価分野
物理学者のすごい思考法橋本幸士2021年9月18日⭐️⭐️⭐️Science

読書メモ

理論物理学者の筆者が、日々考えていることを語る。
ギョーザを作るときには、皮と肉の最適なバランスを計算し、ギョーザの定理を打ち立てる。漢字からは対称性の考察をし、左右対称性に重力の働きを見出す。たこ焼きの半径の上限を計算する。何事も近似で考える。何事もない日常の中で、様々な疑問に没頭してしまう性格は、理論物理学者に向いているに違いない。
後半では、筆者の子どもの頃の興味や、物理学者の奇妙な生態が語られる。
難しい最先端の理論に触れ、すぐには役立たない真理の追究に命を懸けている理論物理学者は、間違いなく社会一般から見れば特殊な存在だ。社会性に欠けるという偏見を持たれることも多い。
でも、本書でそんな理論物理学者の思考の中身を垣間見てみると、物事をとことんまで突き詰めようとする、ちょっと変わった、それでもこの社会に欠かせない人々なのだと感じさせられる。
異質な天才の思考の中身、面白い。

一言コメント

やはり様々な学問分野の中で、理論物理学者は異質性・天才性の意味で際立っているように思います。本書ではそんな理論物理学者の思考の中身を覗くことができます。簡単に読めて面白い良書です。
2022/5/4

『時間は逆戻りするのか』

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書名著者読了日評価分野
時間は逆戻りするのか高水裕一2021年9月18日⭐️⭐️Science

読書メモ

時間が逆戻りすることはない。誰もが当たり前だと思っているその常識が、実は事実ではないとしたら―。本書は最新の物理学の知見を基に、時間が逆戻りするのかを考察する旅に出る。
運動方程式といった物理学の基本方程式においては時間対称性があり、「時間の矢」は自明ではない。一点、熱力学第二法則のエントロピー増大則を除いては。
20世紀物理学第一の柱、相対論は時間の絶対性を揺るがした。時間の経過は速度によって異なる。相対論によれば、未来から過去に向かって飛ぶ光があれば、因果律とは矛盾しない。
20世紀物理学第二の柱、量子力学は物質の常識を変えた。世界は決定論的ではなく、確率論的だ。物質の状態は観測によって定まる。
時間の逆転を阻む最大の敵は、熱力学第二法則のエントロピー増大則である。マクスウェルの悪魔は成立せず、永久機関は実現できないことが証明されている。しかし、ミクロの世界では、熱力学第二法則に反する現象が観測された。量子世界では、時間は巻き戻せるのかもしれない。
未完成のループ量子重力理論は、さらに過激な結論を導く。時間の矢どころか、時間さえもが存在せず、ただ局地的な観測された関係性のみがあるだけなのだ、と。
議論はさらに宇宙論に広がっていく。宇宙の加速膨張とサイクリック宇宙論、虚数時間の概念はさらに我々の時間に関する理解を揺らがしている。
結局時間が逆戻りすることは、少なくともマクロの世界ではないが、ミクロの世界も考えればそれほど自明ではないのだろう。我々が感じている時間の流れ自体幻想なのかもしれないのだ。とはいえ、時間を感じ、時間と共に生きるのが生物であることも間違いない。常識を壊す物理学の世界は面白い。

一言コメント

ところどころ難解ですべてを理解できたわけではありませんが、我々にとって自明と思われている「時間の流れ」が、現代物理学をもってすればそれほど自明ではないということがよく分かります。門外漢にとっても、知的好奇心を満たしてくれるような内容です。
2022/5/4

『ゾウの時間ネズミの時間 サイズの生物学』

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書名著者読了日評価分野
ゾウの時間ネズミの時間 サイズの生物学本川達雄2021年9月18日⭐️⭐️⭐️⭐️Science

読書メモ

「ゾウの時間、ネズミの時間」、本書は可愛らしいタイトルからは想像できないほど深い内容で、生物のあらゆる特徴を「サイズ」の観点から解き明かす。
生物界を支配しているのは比例則ではなく、累乗則だ。例えば、標準代謝量は体重のほぼ3/4乗に比例する。単位当たりの酸素消費量は、体重のマイナス1/4乗に比例する。これらを総括すると、生物によって心拍数は異なり、時間の流れ方は異なるが、一生で使うエネルギーは15億ジュールという不思議な事実が明らかになる。ゾウとネズミ、こんなにも異なっているのに、エネルギーという根本的なところに共通点があるのだ。
比例則ではなく累乗則で全てが支配される根本原因は、表面積は2乗に比例し、体積は3乗に比例する点にある。表面積は熱に関わり、体積は必要なエネルギーに関わる。
本書では他にも、行動圏の広さや分子の微小運動が影響する微小生物の器官などが議論される。共通するのは、生物はサイズに応じた異なる生存環境にあり、それぞれ合理的な戦略を進化させている、ということだ。
サイズという観点から生物を読み解くと、こんなにも見事な法則が見つかる。今まで考えもしなかった。自然は美しい。

一言コメント

タイトルは可愛いですが、内容は深いものです。サイズの観点から生物を見ると、見事な法則が見つかったり、それぞれのサイズにあった合理的な行動が見えてきたりします。前提知識ゼロで読めて、科学は面白いということがよく分かる素晴らしい本です。
2022/5/4

『地銀波乱』

基本情報

書名著者読了日評価分野
地銀波乱日本経済新聞社2021年9月11日⭐️⭐️Finance

読書メモ

地銀に地殻変動が起きている、それも過去最大の―。
本書はコロナ以前に書かれた本であるが、その時点で地方経済の疲弊や低金利の長期化によって地銀の経営は大幅に悪化しており、本業赤字に陥っている銀行さえある。スルガ銀行の不正融資で明らかになったように、リテールは頼みの綱にならなかった。若者に選ばれず、人材枯渇も深刻だ。
そんな苦境にある地銀だが、活路は草の根金融にあると本書は説く。
よく言われているような内容であり、地銀再生に向けて分かりやすい回答は恐らくないだろう。それでも、それを探さない限り、地域創生はきっとあり得ない。

一言コメント

コロナ前の地銀論を再読しました。内容的には広く言われているようなことでもあり、感想はいつも同じです。やるべきことは分かっていても、それを実現するのが一番難しい、と。
2022/5/4

『新・消費社会論』

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書名著者読了日評価分野
新・消費社会論寺島拓幸, 水原俊博, 藤岡真之, 間々田孝夫2021年8月28日⭐️⭐️⭐️⭐️Sociology

読書メモ

本書は、過去展開されてきた消費社会論を総括した上で、21世紀の消費社会が向かうべき道を考察する。
現代社会は資本主義社会であると同時に消費社会である。資本主義は常に供給を増対させることで拡大するが、資本主義が成り立つためにはその膨大な供給に見合うだけの消費が必要だ。それゆえに、現代資本主義は必然的に消費社会でもあった。
消費社会は数々の問題を含んでいる。物質的に豊かになっているはずなのに、人々の欲求はいつまも満たされない。過剰な生産システムは、環境に負荷をかけ、持続可能性を損なっている。先進国での消費は発展途上国での劣悪な労働環境によって支えられている。
そうした状況の中で、消費社会に対しては過去数々の批判が展開された。その一つが、ガルブレイスに代表される主張であり、消費社会の特徴である人々の尽きることのない欲求は、生産者が広告によって生み出したものに過ぎないという見方である。こうした主張に対しては、広告が消費者に与える影響は限られており、消費者は自らの生活向上のため真に望むものを消費しているのだ、という反論も存在している。消費社会は生産者によって生み出されるものに過ぎないのか、消費者が自ら主体的に選択を行った結果成立するものなのか。筆者の答えは、そのいずれでもない、ということだろう。
より深く状況を理解するため、筆者は消費の類型に注目する。消費については、まず機能的消費、「第一の消費文化」が存在した。消費は全て広告によって生み出されるものではない。少なくとも真に人々の生活を豊かにする消費は存在し、それが機能的価値を特徴とする第一の消費文化である。「第二の消費文化」はボードリヤールが主張したような差異的消費、記号的消費である。実用的な価値はないが、他者との差異化を求めるための消費である。消費社会に対する肯定的な見方が前者、批判的な見方が後者と関連づけられている中、筆者は「第三の消費文化」があるのではないかと主張する。これは文化的消費であり、コンテンツ消費のように、環境に負荷をかけることなく、人々の心を豊かにするような消費である。消費社会は純粋に人々を豊かにする夢の社会でもなければ、純粋に生産システムによって強制された不毛な競争を特徴とする社会でもない。現代では「第三の消費文化」も強力であり、これによって消費の非物質化が進めば、持続的に人々の豊かさを実現できる可能性があるのではないか、と筆者は説く。過去の消費社会に対する賛美、批判を超越し、真に豊かな消費社会への道筋が示されていることには勇気づけられる。(尤も、欲求のシステムを所与のものとして扱っているという点において、欲求のシステム自体が生産システムの産物だというボードリヤールの主張を超越しているわけではないと思われる。)
本書の後半では、現代消費社会の潮流が語られる。現代は急速に情報化が進むが、これは消費の人間化と非人間化を同時にもたらす可能性がある。SDGsやエシカル消費といったトレンドは、消費社会を持続可能にするための希望であるように思われる。
本書は消費社会論でありながら、消費社会に対して一種の希望をもって語られているのが特徴である。我々は消費社会、資本主義システムから逃れることはできないが、消費の非物質化を進めることによって、確かに真に豊かな社会を実現できる可能性はあるかもしれない。その道筋を探すことが人類の大きな課題なのだろう。

一言コメント

ボードリヤールを読了後に読んだ消費社会論です。旧来型の資本主義システムが限界を迎えていて、必然的に消費の在り方も変容を迫られていますが、資本主義の枠内での「SDGs的、エシカル消費的」な消費が問題を解決できるかについて確信は持てませんでした。ボードリヤールの主張はもっと根源的で、欲求を生み出す資本主義システム自体に問題があると述べています。ボードリヤールの主張を十分超克できていないのではという感想は持ちつつも、少なくとも消費をより持続的にしていくことは間違いなく必要で、現代消費社会論の重要な視座を与えてくれる本です。
2022/5/4

『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』

基本情報

書名著者読了日評価分野
事実はなぜ人の意見を変えられないのかターリ・シャーロット2021年8月28日⭐️⭐️⭐️Psychology

読書メモ

現代ほど、「事実は人の考え方を変えられない」ことが痛烈に実感できる時代はないだろう。人為的な気候変動についてさえ、懐疑的な人が多く存在する。コロナウイルスの脅威やワクチンの有効性を巡っては、醜い争いが繰り返されている。
本書はどうすれば人に働きかけ、人類が集合的により賢い選択を行うことができるかを心理学の立場から考察する。
多くの理性的な人々は、適切なデータさえあれば人を説得できると考えているが、事実は全くそうではない。数々の実験が、人は事前の信念に合致するデータのみを受け入れ、そうではないデータについては中身の粗探しを行い、その重要性を否定することを示している。理性よりも強い影響力を持つのは感情、共感の力である。人の脳は感情を同期するようにできていて、感情に働きかけることが重要なのである。
では、どうすれば感情に働きかけ、人を動かすことができるのか。脳科学の知見によれば、何かをしてほしい場合はポジティブなインセンティブを与える戦略、何かをしないでほしい場合はネガティブなインセンティブを与える戦略が有効である。また、それに加えて、相手に主体性を与えることが重要である。人は自らが状況をコントロールできていることに満足感を覚えものだからだ。偏桃体の機能をよく理解することも重要だ。人は不安になる情報を得ることを必死に避けたがる。知らないことが長期的にはマイナスだとしても。ストレス下だと、安全策に傾きがちでもある。偏桃体の機能を知り、ポジティブなメッセージを与えるよう工夫することが重要だ。
もう一つの問いとして、人間は集合的には正しい選択をできるのだろうか。人間は本人が思っている以上に周囲の意見に影響される。個々の意見が独立であれば、意見の集約は平均的により優れた結論を出せるが、意見が独立でない場合、議論によって意見は先鋭化していく傾向がある。その中で正しい答えを見つける一つの方法は、「びっくりするくらい人気の票」である。他人が答えるであろう回答を予想し、それよりも実際の回答率が高かった少数派の意見、恐らくそこには何らか価値のある情報が詰まっていると予想できるのだ。
本書は、集合的な思考という人類最大の武器を有効活用し、社会をよりよいものにしていくうえで必須の知見を提供してくれる。エコーチェンバーによって分断だけが増していく現代、少しでも分断が癒えるきっかけになることを願う。

一言コメント

フェイクが流行し、人々が分断される一方の現代社会で、最も読まれるべき本かもしれません。自身がエコーチェンバーの下に置かれていることを認識し、情動による直感を押しとどめ、対立する意見を含めて熟考する―、全ての人がそのような意識を持っていればもう少し世界はマシになると思うのですが、世の中は中々容易ではありません。
2022/5/4

『ただしい人類滅亡計画 反出生主義をめぐる物語』

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書名著者読了日評価分野
ただしい人類滅亡計画 反出生主義をめぐる物語品田遊2021年8月22日⭐️⭐️⭐️⭐️Philosophy

読書メモ

出生は悪であり、人類は出生を減らし、自ら絶滅を選ぶべきだ―。それが反出生主義の主張である。一見すると荒唐無稽なこの主張は、実は分かりやすい論理に支えられている。本書は、10人の人間が、人類を絶滅させる力を持った悪魔から人類を滅亡させるべきかの話し合いを行うように求められたという設定のもと、彼らの議論の形を借りて、様々な視点からの意見を提供する。
ブラックは反出生主義者である。彼の言い分はこうだ。人類は普遍的に「他者に苦しめることは行ってはならない」という道徳を持っている。出生とは根本的に無から有を生み出すことで、幸福や苦痛を感じる他者を作り出す。幸福と苦痛は等価ではなく、他者に幸福を与えることは付加的な善であるのに対し、他者に苦痛を与えないことは道徳的義務である。少しでも苦痛を感じる可能性のある存在を生み出すのだとすれば、たとえその子どもが幸福になれる可能性があるとしても、出生は道徳的に悪である。
それぞれの人間たちは、各自の立場から自分の意見を述べる。ブルーは悲観主義で、自分の人生が惨めであるから人間は滅びるべきだと言っている。イエローは逆に楽観主義者で、自分が幸福であるがゆえに、他の人が幸福を感じる可能性を強調し、反出生主義に反対する。オレンジは自由主義者の立場から、出生に対する選択の自由を強調する。ゴールドは利己主義者であり、人類の行く末には全く興味がない。レッドは共同体主義者で、人類全体が連綿と受け継いでいる価値を強調する。ホワイトは教典原理主義者で、神の言葉に反する反出生主義は全く受け入れない。パープルとシルバーは懐疑主義者、相対主義者で、それぞれの考え方を比較しながら、現時点での結論としては反出生主義に反対する。
グレーは本書のもう一人の主人公だ。前半では議論に参加しないが、後半で超越的な視点を提供する。ブラックは道徳的な正しさを強調し、論理で反出生主義を説くが、出生は根源的に個人の価値観に関わる話であり、論理的に答えを出せるものではないのだ、と主張する。
本書は物語の形式をとっていることで、反出生主義に関連した主張が非常によく理解できる。反出生主義は確かにある意味論理的だ。ただし、現時点で自分の立場を表明するならば、反出生主義には反対だ。人類は、自らが生きた証を後世に伝えるということに集団幻想的な価値を感じて生きている。出生が親のエゴであり、他者に苦痛を与えるだけなのであっても、人が生きていく上での必要悪といえるのではないか。そもそも出生には論理を超越した価値があるのだから、一面的な道徳に基づく論理だけで否定されるべきものではないのではないか。本書でいえば、レッドとオレンジとグレーの混ぜ合わせのような主張なのかもしれない。
簡単に読めて、反出生主義を多面的に知るという意味で非常に興味深い本だった。

一言コメント

反出生主義というと過激思想のように思えてしまいますが、その裏には分かりやすい論理があって、簡単には否定できないということがよく分かります。いつか反出生主義が大々的に議論される日が来るかもしれませんが、そうなってほしいくない気持ちが強くあります。
2022/5/4

『消費社会の神話と構造』

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書名著者読了日評価分野
消費社会の神話と構造ジャン・ボードリヤール2021年8月21日⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️Sociology

読書メモ

全ての消費者は自分で望み、自由に消費を行っていると信じているが、実は消費という記号に従い、差異化を強制されているに過ぎないー。本書は消費社会の本質を見事に喝破したボードリヤール不朽の名著である。
現代社会は豊かであると同時に、永遠の渇望を宿命づけられているかのようだ。人々は十分豊かなはずなのに、新しい物を求め続ける。こうした現実は、資本主義の一時的な機能不良に過ぎず、さらなる成長によって解消するものなのだろうか。そうではない、と筆者は主張する。終わりのない欲求を生み出し、公害や社会不安を引き起こしながら、それさえも内部化して自己拡大を続けることが資本主義的生産システムの本質なのだ、と。
ガルブレイスは「ゆたかな社会」の中で、成長によって人々がアクセス可能な財は増え、豊かな社会が実現すると説いている。不平等や公害はシステムの一時的な機能障害であり、成長と政府による適切な介入によって克服できるものだ、と。ボードリヤールはこの考え方を批判する。豊かさ/貧しさの概念は構造の中で同時に生み出されるものであり、成長が豊かさだけを増すことはない。資本主義システムそれ自体が不均衡と構造的窮乏を内蔵し、それらを生み出し続けているのだ。ある存在が万人のものであり、真に豊かである時、その存在自体は何の価値も持たない。例えば、公害によって安全な空気が一部の人のみの特権になったとき、空気は資本主義システムに取り込まれ、窮乏と同時に空気への欲求を生み出した。これは資本主義システムの成長であるが、人間にとっては全く価値をもたらしてはいない。他の消費についても同じことだ。豊か―すなわち、ありふれていて、全く価値がない―であったものが、資本主義システムに取り込まれ、構造的な窮乏が生まれるとき、豊かさと貧しさが同時に発生する。
ガルブレイスは成長を擁護しつつも、顕示的消費を例に挙げ、真に価値がある消費から人々が阻害されていることを批判しているが、その原因を広告によって真の欲求が歪められているからだと考える。適切な介入によって生産システムの暴走を抑制すれば、豊かな社会が実現できるというわけだ。しかし、ボードリヤールはそうではないと主張する。真の欲求なるものは存在せず、消費者が生産システムに含まれる悪意によって阻害されているわけではない。本質的に「個々の欲求が生産の産物(=生産によって真の欲求が歪められている)」なのではなく、「欲求のシステム自体が生産のシステムの産物」なのだ。
消費者は自由に商品を選択していると信じている。しかし実際は資本主義システムによって生み出された構造的窮乏の中で、システムによって差異化された記号を消費し、作られた欲求を満たしているに過ぎないのである。この主張の説得力を高めるため、本書の後半でボードリヤールは様々な欲求を例に出し、全てシステムに内在するものに過ぎないと主張する。文化や肉体、余暇といった、人間の自発的な欲求と考えられているものも、システムによって差異化を強制されているものなのだ。
ボードリヤールは本書を通じ、現代の消費社会はあらゆるものを生産/消費のシステム内部に取り込み、人々はシステムによる構造物を内面化させられているが、そのことにも気付いていないということを示している。ただ、彼自身はこのシステムから逃れる方法を提示していない。
資本主義システムの恐ろしい力を見事に分析して見せた本書は、変わらず消費社会が主流である現代においても全く色褪せていない。ボードリヤールを越えて、真に人類にとって価値のあるシステムを生み出すにはどうすればよいのだろうか。それは現代人に課せられた一番の宿題なのかもしれない。

一言コメント

ボードリヤールの古典的名著です。消費社会の本質を喝破したもので、深い洞察に満ちた書ですが、極めて難解でした。私の要約力を超えていることは間違いなく、現代にもつながるような学びが多く含まれる本書を是非直接読んでいただきたいと思います。
2022/5/4

『シェイクスピア四大悲劇』

基本情報

書名著者読了日評価分野
シェイクスピア四大悲劇ウィリアム・シェイクスピア2021年8月18日⭐️⭐️⭐️⭐️Literature

読書メモ ※ネタバレを含みます

シェイクスピアの四大悲劇―それは文学史上に燦然と輝き続ける傑作たちだ。本書はオックスフォード英語辞典も参照し、シェイクスピアの四大悲劇を改めて日本語訳したものである。

①ハムレット
王子ハムレットは、父の亡霊から、叔父が王であった父を毒殺し、母と再婚したという事実を知る。彼は事の真相を明らかにするため、狂ったふりをして、劇によって叔父の反応を探る。劇は叔父を動揺させた、間違いなく彼は兄を殺し、兄の妃を妻にするという大罪を犯していた。ハムレットは叔父に対する復讐を決意するが、誤ってポローニアスを殺してしまったことで運命の歯車は狂い始める。ハムレットは追放され、父ポローニアスを失った最愛のオフィーリアは絶望の中で死ぬ。一計を案じて国に戻ったハムレットはオフィーリアの兄レアティーズと決闘し、その中で叔父クローディアス、母ガートルード、レアティーズ、そしてハムレットが次々に死んでいく。ハムレットの復讐は周囲を巻き込んで悲惨な結果に終わった。ハムレットは叔父の罪を知ってなお、行動に悩み、そのことが死者の数を増やした。そうは言っても、ハムレットの葛藤は極めて人間的なものである。普遍的な人間の葛藤が運命の歯車を狂わせ、悲惨な結末に収束していく。そこにはどこか人々を共感させるものがあったに違いない。

②オセロー
ヴェネツィア共和国に仕えるムーア人将軍オセロー。彼は人種的偏見の残る中、勇猛さで現在の地位を築いた。オセローは純粋無垢なヴェネツィア人の娘デズデモーナと結婚し、幸福を手にするが、オセローの旗手イヤゴーの陰湿な計画に絡みとられていく。イヤゴーは紳士ロダリーゴーや妻のエミリアの手を借りながら、副官キャシオーとデズデモーナが不義を犯しているという罪をでっち上げる。オセローは疑心暗鬼に囚われ、デズデモーナの必死の否定にも拘らず、彼女のことを遂に殺害してしまう。エミリアの活躍でデズデモーナが潔白だったという真実を知ったオセローは絶望し、最後には自ら命を絶った。オセローに最愛の妻に手をかけさせるという最悪の結末を招いたイヤゴーの陰謀はとにかく恐ろしい。人種的偏見がある中で、オセローは元々デズデモーナからの愛を疑う心がどこかにあったのかもしれない。疑心が疑心を呼ぶ描写は見事というほかない。

③リア王
老いたリア王は王位を3人の娘に分け与えようとするが、長女と次女がうまく歓心を買ったのに対し、3女はそれを拒絶したため、追放される。その後リア王は長女と次女の裏切りに合い、国を追放され、絶望の中放浪の旅に出る。この陰謀にはグロスター伯爵の庶子エドマンドが一役噛んでいた。彼は父を騙し、兄エドガーを追放させる。その後、長女ゴネリル、次女リーガンと結託し、父グロスター伯爵の視力をも奪い取る。そんな絶望的な状況の中、哀れなトムに身をやつしたエドガー、元忠臣のケント伯爵、3女コーディリアはリア王とグロスター伯爵の命を救い、長女・次女に対抗するべく反乱軍を起こす。最終的に長女、次女、彼女たちの夫、エドマンドは命を落とし、国の奪還に成功するが、戦乱の中3女コーディリアが死に、絶望したリア王も死んでいく。権力を巡る醜悪な陰謀は親子の情を切り裂いて、悲惨な結末を招く。純粋で善なるコーディリアも不条理にも命を奪われる。骨肉の争いはどの時代でもかくも醜いものだったに違いない。

④マクベス
将軍マクベスは魔女の予言を信じ、一計を案じてダンカン王を殺害、自ら王位に就く。しかし、その後彼は狂い、暴政を行うようになり、民の心は離れていく。マクベスにダンカン殺害を唆したマクベス夫人もまた、自らの罪に押しつぶされ、狂気に取りつかれていく。最終的に、ダンカン王の息子であるマルカムとドナルペイン、貴族マクダフに攻められ、マクベスは命を落とす。マクベスが狂っていく中で、そのきっかけを生んだ魔女の言葉だけが不気味に木霊する。成り上がった殺人者の狂気を見事に描き上げている。

一言コメント

シェイクスピア4大悲劇を一冊で。名前は知っていても読んだことはない人が多いと思いますが、読んでみるとやはり読み継がれている理由がよく分かります。どれも全く救いのない悲惨な物語ですが、そこに人生の悲しさを感じさせられます。
2022/5/4

『条件なき平等』

基本情報

書名著者読了日評価分野
条件なき平等レジャーヌ・セナック2021年8月17日⭐️⭐️Sociology

読書メモ

筆者はフランス社会において、条件付きの平等(社会的・経済的メリットがあることを前提とした平等)を拒絶し、無条件の平等を主張する。
フランス社会の基本的な価値は、「自由、平等、友愛(フラテルニテ)」にあるが、フラテルニテは全ての人を包含していたわけではなかった。それはフランス白人男性たちの連帯で、人種的マイノリティや女性たちは排除されていたのだ。その意識は、ジェンダー平等が非常に重要な政策課題と考えられている現代フランスにおいても未だに残っている。それゆえ、フェミニズム運動に対し、見下し、否定するような言説が時に展開されるのである。
現代のジェンダー平等に向けた動きも、男性だけで構成されるフラテルニテの集団が、女性に社会的・経済的価値があるゆえに、一定の権利を認めるといった構図をとることが多かった。筆者はそうではなく、実際的な価値とは無関係、無条件な平等を実現せよ、と説く。
フランスでいうフラテルニテのように、一種のホモソ―シャル的な価値観は日本でも強く残る。真の平等を実現するためには何をすればよいか考えさせられる。

一言コメント

フランスにおけるフェミニズム運動の本です。「友愛」というと聞こえがいいですが、その裏には排除されている人がいる、と筆者は主張します。残念ながら、ホモ・ソーシャルな価値観は日本で色濃く残っています。条件なき平等を実現するのは、まだまだ容易ではなさそうです。
2022/5/1