『ウイルスは悪者か』

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書名著者読了日評価分野
ウイルスは悪者か高田礼人2021年6月12日⭐️⭐️Science

読書メモ

ウイルス研究家の筆者が、ウイルスの謎を探究するため、各地でフィールドワークを実施してきた過程を語る。ザンビアでのエボラウイルスの自然宿主探し、香港での鳥インフルエンザの感染状況の調査など、世界各地でウイルスを追い求める旅には興味をそそられる。
全くウイルスとは不思議な存在だ。「外界との境界」と「自己複製機構」は保持しているが、エネルギーは感染している細胞に依存し、「代謝」については不完全だ。生物のように見えるが、生物ではない。ウイルスは変異を繰り返すが、ウイルス自体に意思はない。
ウイルスは時に人間にパンデミックを引き起こし、悪だとみなされがちだ。しかい、筆者に言わせれば、ウイルスは古来から生物と共存し続けている身近な存在に過ぎない。そうしたウイルスとの共存関係を壊したのは人間の方だ。ウイルスにとっては本来宿主を殺すことは不利になる。ウイルスと自然宿主が共存しているところに人間が立ち入り、偶然にも種の壁を越えてしまった場合に、パンデミックが発生するのだ。Covid19という最悪級のパンデミックの中、ウイルスという”御しがたい隣人”とどう付き合っていくべきなのか。改めて考えさせられた。

一言コメント

「ウイルスとは何者で、どう付き合うべきなのか」、今の状況でこそ考えるべき問いのように思います。ウイルスに意思はなく、宿主を殺すことを望んでいるわけではない。ただ隣人として存在し続けていたものですが、人類と自然の距離感が変わるにつれて、ウイルスが蔓延するようになりました。人類はこのパンデミックからウイルスとの関わり方を学ぶことができるでしょうか。
2022/5/1

『ぼくと数学の旅に出よう 真理を追い求めた1万年の物語』

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書名著者読了日評価分野
ぼくと数学の旅に出よう 真理を追い求めた1万年の物語ミカエル・ロネー2021年6月12日⭐️⭐️Mathmatics

読書メモ

数学の面白さを初学者向けに分かりやすく語った本。
数学はどこにでもある。古代メソポタミアの土器には、様々なタイプの幾何学模様が見られる。その後も数学は発展を続けてきた。数が生まれ、幾何学が生まれ、定理と証明が数学の基礎になった。数の概念は負の数、虚数まで拡張されていき、代数が数学の王様になる。現代数学はコンピュータと共にある。四色定理はコンピュータの計算力で証明された。単純なルールで得られるマンデルブロ集合を図示すると、恐ろしい程美しく、複雑な模様が得られる。
これからも数学の探究は続く。専門化が進み、豊かな数学の世界の内理解できる領域はごく僅かに違いない。それでも、数学ほど面白いものはない。

一言コメント

数学の面白さを伝えたいという筆者の気持ちはよく分かります。私自身そこまで数学ができるわけではないですが、数学自体は好きです。世の中の数学に対する偏見や苦手意識が少しでも減ればいいなと思います。
2022/5/1

『スペキュラティヴ・デザインの授業』

基本情報

書名著者読了日評価分野
スペキュラティヴ・デザインの授業長谷川愛2021年6月6日⭐️⭐️⭐️Art

読書メモ

スペキュラティヴ・デザイン。それは、常識を疑い、作りたい未来の価値を形にすること。社会に対して課題を提起すること。本書ではアーティストの筆者がスペキュラティヴ・デザインについて解説する。
例えば、筆者は(不)可能な子どもという作品を世に出した。女性の同性カップルの顔の画像を用い、彼女たちの娘が存在する場合の家族写真を作成する。生物学的に彼女たちは子どもを作ることはできないし、現在同性カップルは養子を持つこともできない。それでも、”家族写真”からは、こんな世界もあり得ると感じさせられる。他にも、イルカと人間の子どもができたら―というアート作品もある。生殖は種に囚われる必要があるのか?ここでも既存の常識を超えていく。
こうした現代アートを通じ、アーティストは課題を提起し、目指すべき社会を考えるための議論を巻き起こすことができる。企業や国家、市民社会の数歩先を行く。よりよい社会を目指すためには、アートの力は大事なのかもしれない。

一言コメント

今まであまり触れてこなかった現代アート系の本です。もはや”美”術ではないかもしれませんが、既存の常識を疑い、社会に課題を問いかけるアートの力には惹かれます。
2022/5/1

『武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50』

基本情報

書名著者読了日評価分野
武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50山口 周2021年6月6日⭐️⭐️⭐️Philosophy

読書メモ

哲学は武器になる―本書のメッセージはそれに尽きる。他の哲学入門とは一線を画し、本書は”役立つ”哲学の知識を紹介する。
例えば、フェスティンガーの認知的不協和理論は、人間が後付けで合理化を図る生き物だということを分からせてくれる。サルトルのアンガージュマンは、周りを巻き込んで人生を築いていく重要性を語る。一方、フロムの自由からの逃走にあるように、自由とは時として重いものだ。ミルの悪魔の代弁者は、組織での議論に欠かせない視点だ。モースの贈与論からは、金銭的な報酬に囚われない相互関係の重要性を学ぶことができる。ラーナーの公正世界仮説の思想は現代で最も重要かもしれない。努力は必ず報われる、すなわち、報われていないなら努力していない。そんな自己責任論は誤りだ。デリダの脱構築は、問いの裏にある前提を崩し、新たな視座を与えてくれる。
哲学ほど役立つ学問はない。偉大な先人たちが積み重ねてくれた思考の型や、人間の限界を知ることで、あらゆる課題に対して質の高い思考をすることができる。哲学という武器を身に着けたい、これからも。

一言コメント

哲学ほど役に立つ学問はないというのは大いに共感します。流動的な世界で、思考の道標になってくれるものは哲学だと思います。
2022/5/1

『奇書の世界史 歴史を動かす“ヤバい書物”の物語』

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書名著者読了日評価分野
奇書の世界史 歴史を動かす“ヤバい書物”の物語三崎 律日2021年6月5日⭐️⭐️History

読書メモ

書物はその時代の価値観を反映する。現代から見ると全くおかしい内容の書物でも、書かれた時代は良書とみなされていることもある。本書は、奇書という独特のテーマから、歴史と価値観の変遷を読み解く。
『魔女に与える鉄槌』は、現代からすれば中世の魔女狩りに火を注いだ悪書であるが、”人々にはどうにもできない不運”があるという発想がなかった時代、魔女という分かりやすい悪に不幸の理由を求めるのはある意味合理的なことだった。サルマナザールの『台湾紙』は、稀代のペテン師によるデタラメだが、当時のヨーロッパ人がいかにアジアを知らなかったか教えてくれる。スウィフトの『穏健なる提案』の内容は狂気に満ちている。貧困層の子どもを富裕層に食べ物として売るという提案は当然受け入れられるものではなく、当然スウィフトも課題提起の意味で”穏健”なる提案をしているのだが、当時のアイルランドの悲惨な暮らしがよく分かる。
奇書は時代によって変わる。きっと現代の名著も、後世の人間からしたら奇書と言われるのだろう。でも、そんな価値観の変遷を含め、書物とは面白い。そう感じさせられた。

一言コメント

現代から見ると奇妙としか思えない過去の書物を紹介した本です。本の価値もまた時代と共に変わっていくというのが面白いですね。
2022/5/1

『運命と選択の科学』

基本情報

書名著者読了日評価分野
運命と選択の科学ハナ―・クリッチロウ2021年5月23日⭐️⭐️⭐️⭐️Science

読書メモ

自由意志は存在するのか―過去多くの哲学者が考察してきた問いであるが、近年自由意志は脳科学からの攻撃を受けている。人間の脳の働きはニューロンとシナプスによって生まれるものにすぎない。もはや脳は神聖なものではなく、科学的に観測可能なものでしかない。
本書は、脳科学の視点から、自由意志が本当にあるのか考察する。「自由意志などない。全ては生物学的に決まっている。」という脳科学的な決定論・宿命論がはびこる世界は絶望に溢れているに違いない。筆者は、単純な宿命論を退ける立場から、脳について科学的に分かっていることを解説していく。
肥満といった一般に自己責任とみなされがちな現象であっても、その多くは遺伝的に決まっている。この運命は変えられないのか?実はそうではない。エピジェネティックスにより遺伝子の発現をコントロールすることはできる。遺伝がどれほど重要といっても、環境要因も大きいのだ。
人の信念も、生まれた時の脳の特徴、情動反応によって決定されるところが大きい。信念さえも変えられないのか?そうではない。ある脳、ある状況において、ある人がどのような考え方をしやすいということを言うことはできるが、信念も複雑な環境に影響される。少なくともそこに、非決定論的な要素を追加することができるのだ。
恐らく、個々の生物としての人間は、各自が思っている以上に遺伝に影響され、決定論的だ。ただし、そこに自由意志が完全にないわけではない。なぜなら、人間は大きく環境に影響され、集団としてなら、より相互に利他的なように変わることができるから。単純な宿命論だけの世界は悲惨だ。少なくとも自身の自由意志を信じることなしに人は生きていけないだろう。集団としてなら、決定論からきっと逃れられる。筆者の主張は、科学的でありながら、希望に満ちているものだった。

一言コメント

脳科学がこれほど発展した世界で、人間は「自由意志」を保っていられるのでしょうか。本書は脳科学者がその問いに答えたものです。個体としての人間で見れば、確かに遺伝子や環境に支配されるところが大きく、自由意志は幻想にすぎないのかもしれませんが、他の人と関わることでそこにランダム性を付与できるというのは興味深い論考でした。脳科学が人類に希望を与えてくれるような学問になればいいなと思います。
2022/5/1

『40人の神経科学者に脳の一番面白いところを聞いてみた』

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書名著者読了日評価分野
40人の神経科学者に脳の一番面白いところを聞いてみたデイヴィッド・J・リンデン2021年5月23日⭐️⭐️⭐️⭐️Science

読書メモ

世界中の高名な脳科学者が脳について語る。
生まれか育ちか論争は常に話題になるが、最新の脳科学によれば、その答えは「どちらも」でしかない。遺伝は知的能力の大部分を説明できるほど重要であるが、遺伝子が発現するかのエピジェネティックスは環境に影響されるし、脳には可塑性があり、多くの人が思っている以上に配列が日々書き換わる。とはいえ、可塑性は万能ではない。胎児時代、子ども時代に受けた脳へのダメージは生涯続くこともある。自分ではどうにもできない遺伝と、ある程度はコントロールし得る環境(幼少期の環境は親によって決定されるが)のバランスで人間ができているからこそ、時に自分を信じて努力しつつ、時にどうにもならないことを上位の存在に責任を負わせ、人々は生きていられるのかもしれない。
論考の中で一番印象に残ったのは編者によるLGBTの議論。性的指向の約半分は遺伝子によって決まる。残りの半分は環境による。因果関係とは言えないが、幼少期の遊びが”異性的”であるほど、同性愛的指向が強まるという相関関係がある。子どもの性的指向を尊重するのは親として当然としても、もし生来の性的指向というものは半分にすぎず、子どもは未だに性的指向が定まっていない存在なのだとしたら―。子どもの性的指向を異性愛に”ナッジ”するような育て方をすることは倫理的に許容されるのだろうか。非常に難しい問題がそこにはあると思う。
脳について多面的な知識を得られる本。なるほど、脳は面白い。

一言コメント

脳について様々に語られている書です。様々な要素に生まれも育ちも絡んでいて、親が介入できる部分も大きいと考えると、中々倫理的に難しい問題もありそうです。脳について知りたい気持ちがある一方で、脳の働きは永遠に未知であり続けてほしいと願ってしまうのは、人間の脳のどこかに神秘性を期待してしまっているからでしょうか。
2022/5/1

『物質の究極像をめざして 素粒子論とその歴史』

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書名著者読了日評価分野
物質の究極像をめざして 素粒子論とその歴史和田純夫2021年5月22日⭐️⭐️⭐️⭐️Science

読書メモ

素粒子論の歴史を分かりやすく解説した本。
あらゆる学問に共通していることだが、素粒子論は常に理論と観測の両輪で発展してきた。電子はなぜ原子核に墜落しないのか?正電荷を持つ陽子はなぜ原子核を形成できるのか?ハドロンが複数種類存在するのはなぜか?観測事実から生まれてきた疑問が新たな理論を生む。自然界には強い力(核力)、電磁気力、弱い力(4つ目に重力があるが、前3者との理論的統合は全く進んでいない)が存在する。原子核を構成する核子(陽子、中性子)は実は素粒子ではなく、クオークとグルーオンの相互作用によって作られているのだ。理論の肝となるのが「相互作用バーテクス」。相互作用により、粒子が生成・消滅する。バーテクスで表現される相互作用が重力以外の本質なのだ。
1970年代に大幅な進歩があって形成された”素粒子標準理論”であるが、物質の究極像にはまだほど遠い。宇宙論の観測結果によれば、宇宙の9割以上は未知の物質・エネルギーである。見付かっていない新たな素粒子は確実にある。最大の課題は重力。近年重力波天文学が発展しているが、重力というあまりにも弱すぎる力がどのように伝わっているのかは全くの未知である。これから先素粒子論がどのように展開していくのか、楽しみで仕方がない。量子力学の不思議な観測事実について語った本は数多くあるが、素粒子論について扱った一般書は少ないため、とても勉強になった。

一言コメント

量子力学について解説した入門書や記事は数多くあれど、素粒子論についてきちんと扱ったものは多くない印象です。本書はそんな希少な1冊で、全くの門外漢にも素粒子論の面白さの片鱗を感じさせてくれました。特に、相互作用を表現する「相互作用バーテクス」の図は視覚的に分かりやすく、印象に残ります。真に理解するのは不可能なくらい難解な分野ですが、門外漢なりに興味を持っていたいですね。
2022/5/1

『ホモ・デウス 上 テクノロジーとサピエンスの未来』『ホモ・デウス 下 テクノロジーとサピエンスの未来』

基本情報

書名著者読了日評価分野
ホモ・デウス 上 テクノロジーとサピエンスの未来yuval noah harari2021年5月4日⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️Philosophy
ホモ・デウス 下 テクノロジーとサピエンスの未来yuval noah harari2021年5月5日⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️Philosophy

読書メモ

(上)
人類が神になる未来を描く。飢饉と疫病と戦争は過去ずっと人類にとって最大の課題だったが、人類はそれらを克服しつつある。未だ残る場所も当然あるが、少なくともそれらは今や人智を超えた神の怒りではなく、人間の失策の結果とみなされている。生物学的限界を克服した人類は次にどこに向かうのか。それは、幸福と非死。自らを神にアップデートしようとするのだ。本書は前著サピエンス全史の内容を振り返り、人類の歴史を紐解くところから始まる。人類は他の生物をまるで情動を持たないアルゴリズムのようにみなし、家畜化という形で完全に支配した。これによって、家畜の主観的欲求は無視されるようになった。それを実現した人類の強さは虚構を信じる力である。今の社会は科学と人間至上主義という宗教が固くタッグを組むことで成っている。そうした人間至上主義の先に何があるのか。それが下巻で明かされる。

(下)
下巻は上巻に引き続き、今の社会を構成する思想から始まる。現代最大の特徴は、成長を誰もが信じていることである。これによって、信用が生まれ、資本主義社会が発達した。前巻でも登場した人間至上主義は、自由主義という形をとり、個人の主観こそが最も重要だという大原則を生んだ。人間至上主義は、社会主義的人間至上主義と進化論的人間至上主義という分派を生み、20世紀には血なまぐさい宗教戦争が展開されたが、根源はいずれも同じである。自由主義は最終的に勝利し、伝統的な宗教はこの代替になるべくもない。しかし、21世紀に入り、独立した個人の自由を前提とする自由主義的人間至上主義が崩壊しつつある。最新の脳科学の知見によれば、自由意志などなく、ただ確率的・決定論的な生化学的プロセスが存在するだけである。AIの発展により、今まで以上に多くの人々の仕事が奪われ、無産階級を生む可能性が出てきている。データとアルゴリズムは本人以上にその人のことを把握するようになっている。それでは、これから人類はどんな宗教を信じるようになるのか。一つはテクノ人間至上主義である。それは、テクノロジーによって、人類の持つ欲望や情動を叶えることを目指す宗教だ。ただし、テクノロジーで人間の自由意志までも制御できてしまうとなると、何を目指すべきかわからなくなるという課題を含んでいる。それより有力なのはデータ教で、あらゆるものの価値はデータによって決まってくるという宗教だ。人間を含めて生き物はアルゴリズムであり、生命はデータ処理である。意識を持たない高度なアルゴリズムが全てを知る。そんな時代になると人類固有の価値など完全になくなってしまうだろう。
本書では、ありふれたトランスヒューマニズム論を超える視座を持った議論が展開されている。データ教の世界、人類の価値が否定された世界は恐ろしいが、そうした世界にしないためにどう考えるか、筆者はその問いかけを全ての人にしているのだろう。少なくともホモ・デウスの未来はSFではなく、真摯に向き合うべき現実だ―。それだけは間違いない。

一言コメント

ハラリの有名な本の再読です。人間が神を目指すという未来が、決しておとぎ話の世界ではなく、現実のものとして迫っているということがよく分かります。同年代の大多数は少なくとも後50年は生きると考えるならば、どこかで人間自身の在り方について自分事として向き合わなくてはならないかもしれません。未来は予想より遥かに現実的だった、という可能性も一方であるわけですが。
2022/5/1

『サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福』『サピエンス全史(下) 文明の構造と人類の幸福』

基本情報

書名著者読了日評価分野
サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福yuval noah harari2021年4月29日⭐️⭐️⭐️⭐️History
サピエンス全史(下) 文明の構造と人類の幸福yuval noah harari2021年4月29日⭐️⭐️⭐️⭐️History

読書メモ

(上)
これほど弱いホモ・サピエンスがなぜ生物界の覇者になれたのか―。圧倒的な知性が、ホモ・サピエンスの歴史を解き明かす。当初ホモ・サピエンスはサバンナの弱者で、死肉を漁る取るに足らない存在だった。そこから、他の人類種を全て滅ぼし、過去に例がないほど生態系を破壊するに至らしめた最初の力は認知革命だ。虚構の物語を作り出し、顔も知らない人々が協力し合うことで、個々の力では劣っていても生態系の覇者になることができた。認知革命の次にきたのが農業革命。農業革命は、ある意味で、ホモ・サピエンスが小麦に家畜化される過程でもあった。人口増大で、個体の生活は過去より惨めなものになったが、種としての成功は確かなものになった。農業革命と同時に、想像上のヒエラルキーが生まれ、現代にも続く差別の構造が生まれていった。農業によって生産性が高まったホモ・サピエンスは、世界中を統一していった。この統一に大きな力を発揮したのが貨幣と帝国である。この二つの虚構はホモ・サピエンスを普遍的な方向に向かわせ、”純正な文化”なるものはもはや存在しえない。
筆者に言わせれば、ホモ・サピエンスは特別でもなんでもはなく、小さな偶然によって大きな力を手にした一つの種に過ぎないのだ。そして、家父長制に全く根拠がないのと同じように、人権や貨幣といった虚構にも根拠はない。ただし、虚構を信じることがホモ・サピエンス最大の力である。我々が信じている”普遍的価値”を虚構だと説くことはポストモダンにもつながるように思えるが、”伝統的な文化”さえも存在しないのだと主張していることで一線を画しているのではないか。すべては虚構だと説きながらも、シニカルで悲観に満ちた書には見えないのは、”虚構”こそが人類の力であると、淡々とした筆致で描き上げているからなのだろう。

(下)
前巻に引き続き、どのようにしてホモ・サピエンスが覇者となったかを語る。キリスト教などの宗教に大いなる力があることは間違いないが、その宗教が現代まで残っているのは偶然の産物に過ぎない。もはや当然となっている人間至上主義もまた宗教で、その中に「自由主義的な人間至上主義」「社会主義的な人間至上主義」「進化論的な人間至上主義」がある。20世紀のイデオロギー対立も、宗教対立と似たようなものなのだ。ホモ・サピエンスが獲得した最後の武器は”科学”。”科学”は進歩主義を生み、帝国と資本主義と結びつき、世界を支配する圧倒的な力をヨーロッパにもたらした。科学は人々の生活を遥かに改善した一方で、幸福度はさほど変わっていない。それでも、農業革命と同じように、科学革命と資本主義はあまりにも力があるので、後戻りすることはできないのだ。そんな力のある科学は、人類を超越させる方向に進もうとしている。覇者となったホモ・サピエンスはどこに向かうのか。この先は『ホモ・デウス』で描かれる。
ホモ・サピエンスの大きな歴史を徹底的に冷静な視点から描いた本。深い思考に感銘させられる。

一言コメント

昔読んだ本の再読です。人類史を大局的に語るというのは挑戦的な試みですが、それに見事に成功しているように思います。人類をサバンナの死肉漁りから生物界の覇者に至らしめたのは”虚構を信じる力”だという主張は深く心に残りました。”虚構”は数々の暴力や死を生んだものではありますが、それでも人類は”虚構”と共に生きていくしかないのでしょう。今の私たちが信じる諸価値さえも”虚構”だとするならば、全く”虚構”は愛しくも憎い不思議な存在です。
2022/4/30