『責任と判断』

基本情報

書名著者読了日評価分野
責任と判断ハンナ・アレント2022年4月30日⭐️⭐️⭐️⭐️Philosophy

読書メモ

国家の名の下に集団的な犯罪が行われたとき、その責任を問うということがいかに難しいか―。『エルサレムのアイヒマン』『人間の条件』といった著書で有名なハンナ・アレントが、彼女の中心主題であった罪を巡る思想を語る。
第一部の主題は責任である。アウシュビッツという破壊的な犯罪が行われたとき、その罪をどう裁くべきだろうか。ドイツ人全てが罪を負うという「集団責任」が主張されることもあるが、集団すべてに責任があるということは誰の責任も問えないということだ、と著者は喝破する。同様に、アイヒマン裁判で展開されたような「歯車理論」も誤りだ、と筆者は主張する。単に命令に従う歯車であったから責任はない、というわけではない。裁かれるべきは個人である。国家的な犯罪で、合法的であったとしても、不参加という人間の尊厳と名誉を保った行動も可能であったはずだから、人間の良心に反する行為は裁かれるべきなのだ。
その後筆者はカントの道徳哲学などを引きながら、個人の道徳を考察していく。恐れるべきは「判断をしないこと」だ。選択する意志を失ったとき、人の良心は麻痺し、悪の構造に巻き取られていってしまう。
第二部では判断を主題とし、アメリカにおける人種差別問題について語られた後、話はニュルンベルク裁判の裁判記録に戻る。アウシュビッツは極限的な状況であって、罪を犯さないことは不可能であった。それでも、とりわけ犠牲者に残虐行為を働いた所員はいたし、そうした人間は罪を問われた。
1冊を通して分かるのは、国家的な犯罪を裁くことの難しさである。極限的な状況で個人にできることは少ない。それでも、各個人は選択する意志を失わず、自ら巨悪に与しないよう判断し続けることはできる。したがって、この状況下でも個人の罪を問うことは可能なのだ。恐れるべきは選択する意志を失い、無関心になった個人である。アウシュビッツを繰り返さないために―、今なお読まれるべき思想家であるに違いない。

一言コメント

人道に反する行為を強いるような構造の中で、個人としてどう振る舞うべきか―。究極的な状況の中で行われた行為をどう裁くべきか―。本当に難しいテーマです。ロシア兵士の残虐行為も伝えられる中、ハンナ・アレントの向き合った問いは(残念ながら)今も全く色褪せていないということがよく分かるのです。
2022/10/2

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