基本情報
書名 | 著者 | 読了日 | 評価 | 分野 |
新・消費社会論 | 寺島拓幸, 水原俊博, 藤岡真之, 間々田孝夫 | 2021年8月28日 | ⭐️⭐️⭐️⭐️ | Sociology |
読書メモ
本書は、過去展開されてきた消費社会論を総括した上で、21世紀の消費社会が向かうべき道を考察する。
現代社会は資本主義社会であると同時に消費社会である。資本主義は常に供給を増対させることで拡大するが、資本主義が成り立つためにはその膨大な供給に見合うだけの消費が必要だ。それゆえに、現代資本主義は必然的に消費社会でもあった。
消費社会は数々の問題を含んでいる。物質的に豊かになっているはずなのに、人々の欲求はいつまも満たされない。過剰な生産システムは、環境に負荷をかけ、持続可能性を損なっている。先進国での消費は発展途上国での劣悪な労働環境によって支えられている。
そうした状況の中で、消費社会に対しては過去数々の批判が展開された。その一つが、ガルブレイスに代表される主張であり、消費社会の特徴である人々の尽きることのない欲求は、生産者が広告によって生み出したものに過ぎないという見方である。こうした主張に対しては、広告が消費者に与える影響は限られており、消費者は自らの生活向上のため真に望むものを消費しているのだ、という反論も存在している。消費社会は生産者によって生み出されるものに過ぎないのか、消費者が自ら主体的に選択を行った結果成立するものなのか。筆者の答えは、そのいずれでもない、ということだろう。
より深く状況を理解するため、筆者は消費の類型に注目する。消費については、まず機能的消費、「第一の消費文化」が存在した。消費は全て広告によって生み出されるものではない。少なくとも真に人々の生活を豊かにする消費は存在し、それが機能的価値を特徴とする第一の消費文化である。「第二の消費文化」はボードリヤールが主張したような差異的消費、記号的消費である。実用的な価値はないが、他者との差異化を求めるための消費である。消費社会に対する肯定的な見方が前者、批判的な見方が後者と関連づけられている中、筆者は「第三の消費文化」があるのではないかと主張する。これは文化的消費であり、コンテンツ消費のように、環境に負荷をかけることなく、人々の心を豊かにするような消費である。消費社会は純粋に人々を豊かにする夢の社会でもなければ、純粋に生産システムによって強制された不毛な競争を特徴とする社会でもない。現代では「第三の消費文化」も強力であり、これによって消費の非物質化が進めば、持続的に人々の豊かさを実現できる可能性があるのではないか、と筆者は説く。過去の消費社会に対する賛美、批判を超越し、真に豊かな消費社会への道筋が示されていることには勇気づけられる。(尤も、欲求のシステムを所与のものとして扱っているという点において、欲求のシステム自体が生産システムの産物だというボードリヤールの主張を超越しているわけではないと思われる。)
本書の後半では、現代消費社会の潮流が語られる。現代は急速に情報化が進むが、これは消費の人間化と非人間化を同時にもたらす可能性がある。SDGsやエシカル消費といったトレンドは、消費社会を持続可能にするための希望であるように思われる。
本書は消費社会論でありながら、消費社会に対して一種の希望をもって語られているのが特徴である。我々は消費社会、資本主義システムから逃れることはできないが、消費の非物質化を進めることによって、確かに真に豊かな社会を実現できる可能性はあるかもしれない。その道筋を探すことが人類の大きな課題なのだろう。
一言コメント
ボードリヤールを読了後に読んだ消費社会論です。旧来型の資本主義システムが限界を迎えていて、必然的に消費の在り方も変容を迫られていますが、資本主義の枠内での「SDGs的、エシカル消費的」な消費が問題を解決できるかについて確信は持てませんでした。ボードリヤールの主張はもっと根源的で、欲求を生み出す資本主義システム自体に問題があると述べています。ボードリヤールの主張を十分超克できていないのではという感想は持ちつつも、少なくとも消費をより持続的にしていくことは間違いなく必要で、現代消費社会論の重要な視座を与えてくれる本です。
2022/5/4