基本情報
書名 | 著者 | 読了日 | 評価 | 分野 |
ゴドーを待ちながら/エンドゲーム | サミュエル・ベケット | 2022年6月18日 | ⭐️⭐️ | Literature |
読書メモ ※ネタバレを含みます
ゴドーという謎の存在を待っているらしい二人の路上生活者ウラジミールとエストラゴン。この戯曲は二人の間の会話を中心として展開するが、特に何かが起きるというわけではない。数少ない変化はポゾーとラッキーという男の登場だ。ラッキーは奴隷のような立場に身をやつしているが、唐突に意味不明な説教をたれ始める。一日の最後には男の子が登場し、ゴトーは今日は来ないと告げて第1章は幕引きだ。さらに混乱するのは第2幕。二人がゴトーを待っている様子は昨日と変わらないが、昨日と連続しているようで連続していない。ポゾーとラッキーも登場するが、ポゾーは盲目になり、まるでラッキーが主人であるかのような様相だ。最後に二人は自殺を試みるが、失敗したところで物語自体も幕引きとなる。
全体を通して全く意味は分からない。ゴドーとは誰か、さえも明らかにされない。第1幕と第2幕の繋がりも謎である。無限の解釈に開かれていて、不条理文学、ポスト・モダン文学の極致とされる理由はよく分かる。一方で、無限の解釈に開かれていると言えば聞こえはいいが、ただ意味不明な作品にも思えてくる。こうした作品の解釈を大真面目に議論するのがポストモダンであるとするならば、それにはどこかで馬鹿馬鹿しさを感じるし、100年後の人間からは駄作と一蹴されている可能性さえもあると思うけれど、ただ無視していい駄作と断言しきれない自分も確かにいる。全く難しいポストモダン文学である。少なくとも、その意味不明さを忘れることはできないだろう。自分と同じく困惑を生むことは間違いないと思いつつ、他の人に勧めたくなる部分もまた確かにある。
一言コメント
意味不明!です。これは傑作なのでしょうか。その良さが理解できるようになる日が来る気はしませんが、これがポストモダンということがよく分かるので、一回読んでおいて損はないと思います。
2022/10/2