基本情報
書名 | 著者 | 読了日 | 評価 | 分野 |
鉄の時代 | J・M・クッツェー | 2022年7月9日 | ⭐️⭐️⭐️⭐️ | Literature |
読書メモ ※ネタバレを含みます
70を超え、ガンに侵される老女カレン。この物語はそんな彼女が遠くアメリカで暮らす一人娘にあてた遺書という形をとる。
全身を蝕む痛み、近づく死。自身の体がモノのように思えてしまう日々。一人娘も異国にいる中、彼女は孤独な時間を過ごす。そんな中出会ったのが、勝手にカレンの屋敷に住み着いていた浮浪者ファーカイル。ファーカイルもまた孤独な存在で、育ちゆえに愛を知らなかった。交わるはずのなかった二人だが、少しずつ交流が生まれ、カレンは徐々に彼に特別な想いを向けるようになり、一人娘に遺書を渡すという大事な役割を彼に委ねる。彼はカレンの想いに応えて遺書を届けてくれたのかは、死んでいくカレンには分からない。母から受けたものと同じような愛を娘に求めたいが、自らのプライドゆえにそれができず、代わりに別の存在を求めた老女の孤独な想いが切なく響く。
死にゆく彼女を置いていくように、時代もまた激動していた。時は1986年、アパルトヘイトが限界を迎える中、黒人たちは立ち上がり、終わりの見えない血みどろの抗争が続いていた。カレンの家に来ていた黒人のメイドフローレンス。彼女の息子ベキも抗争に巻き込まれて凄惨な死を迎え、その友人ジョンもまた彼女の屋敷で警察に銃殺される。未来がある若い命が大義の名のもとに失われる。死が近い彼女の「未来を捨てないで」という心からの叫びが苦しい。同時に、白人であった彼女は黒人の置かれた現実を目の当たりにし、自らの生活がどれほどこの差別の構造に支えられてきたかを思い知る。そこにあるのは恥辱―、自らもまた加害者であるという苦しい気持ちに他ならない。
死にゆく老女の孤独と恥辱に塗れた内心を描いたこの作品はとにかく苦しい。どこにも救いはないのだけれど、せめて彼女に思いを託されたファーカイルが遺書を届け、彼女の娘に受け入れられ、愛を知る未来が来ることを願ってしまう。
アパルトヘイト末期という時代を踏まえながら、死にゆくものの内心を見事に描いた作品。傑作という他ない。
一言コメント
いやあ、よくもまあ中年の男性作家が死に瀕した老女の内面をこれほど深く書けるな、と思います。これがノーベル文学賞作家の力かと思わされますね。クッツェーは是非読んだ方がいい作家の一人だと思います。
2022/10/2