『希望と自由の哲学 サルトル 実存主義とは何か』

基本情報

書名著者読了日評価分野
希望と自由の哲学 サルトル 実存主義とは何か海老坂武2021年8月14日⭐️⭐️⭐️Philosophy

読書メモ

20世紀の偉大な知性であり、その生き方を以て今も人を惹きつけてやまない人物ーそれがサルトルである。本書はそんなサルトルの主張を、彼の歩んだ人生と共に分かりやすく解説する。
サルトルの主張(実存主義)の基本にあるのは、「実存は本質に先立つ」ということだ。言い換えれば、人間は本質的な目的を持って生まれるわけではなく、誰もがまず実存し、その後で自ら目指したものになっていくということである。それならば必然的に、「主体的に」未来に向かって自らを投げ出す「投企」が必要になる。彼のこの主張は、彼を一躍有名にした『嘔吐』という小説の中に見ることができる。この小説の中で、ロカンタンは自らの生の無意味さを知り、実存の悩みに直面する。まさに「実存は本質に先立つ」という彼の主張が表されているのだ。
「主体性」の考え方に続けて生まれてくるのは「人間は自由の刑に処せられている」という有名なフレーズである。人間に本質はなく、自らなりたいものになれるとするならば、人間は限りなく自由である。ただし、それは夢のような自由ではない。自由であるということは、自らの選択の責任を引き受けなければならないということであり、人間はこの自由と責任から逃れることはできない。自由の刑に処せられているのである。そうした自由に直面し、『嘔吐』のロカンタンは芸術の道を志す。芸術は偶然性に彩られた世界の中に、何か自分で必然的な秩序を生み出すことであり、彼はそのことに希望を見出したのだ。
サルトルの主張においてもう一点欠かせないのが、他者との関わり方であり、アンガジュマンという生き方である。人は常に他人と関わり、対他存在が定義される。また、社会によって必然的にアンガジェ(=巻き込む)される。こうした対他存在を直接変えることはできず、アンガジェから逃れることはできない。しかし、だからこそ、対他存在を自ら引き受け、他者・社会に働きかけていくこと、言い換えればアンガジュマン(=自ら巻き込むこと)を行っていく必要があるのだ。こうした彼の主張は、ナチスによって凄惨な行為がなされる中、それを止められなかったという意識が生み出したものなのかもしれない。
サルトルは実存主義という偉大なる哲学を築き上げただけではなく、人間の可能性や希望を常に信じ続け、自らの人生の中で己の哲学を実践した人物である。『嘔吐』という作品を残したことも、様々な政治的問題に対して自らの意見を表明した(アンガジュを行った)ことも、ボーヴォワールと自由な関係を生涯に渡って築いたことも、彼の哲学に繋がっている。その人生は自由である一方で、重い責任がのしかかっていたに違いない。それでも己を貫いたその生き方に人は惹きつけられるのだ。
実存主義が勢力を失って久しい21世紀であるが、民主主義を揺らがすような様々な問題が存在していることには変わりがない。そうした中で求められるのは、サルトルの言うような「主体性を持った、自由な、アンガジュマンする生き方」なのではないか。間違いなく、21世紀も読み継がれるべき知性である。

一言コメント

本書はサルトル哲学の入門書として最適です。主体的な生き方を追求したサルトル哲学には心惹かれます。
2022/5/1

『ドローダウン 地球温暖化を逆転させる100の方法』

基本情報

書名著者読了日評価分野
ドローダウン 地球温暖化を逆転させる100の方法ポール・ホーケン2021年8月9日⭐️⭐️⭐️⭐️Global Issues

読書メモ

地球温暖化を逆転させ、人類を破滅から救うためには何をすればよいだろうか。本書はそのために人類が採用するべき100の方策を解説したものである。本書の特徴は何より、科学的であることである。地球温暖化問題については、「もう何をしても破滅は避けられない」といった過度に悲観的な論調や、「技術がいつかすべてを解決してくれる」といった過度に楽観的な論調で語られることもある。本書はそのいずれにも与しない。確かに地球温暖化を逆転させるのは極めて困難で、何か一つの分かりやすい解決策があるわけではない。できるのは実現可能な解決策を積み重ねることだけだが、それによって運命を逆転させることはできるのだ。その論拠として、本書では100の解決策を提示し、それぞれの炭素排出減インパクトを科学的に算出する。
100の解決策はインパクトによって順位づけられているが、上位は1位冷媒、2位陸上風力発電、3位食料廃棄の削減、4位植物性食品を中心にした食生活、5位熱帯林、6位女児の教育機会である。冷媒や女児教育については地球温暖化対策として注目されることが少ないため、意外性を感じるところだ。
解決策に共通していることは、個人にできることは大きいということ。人々の食生活や日々の移動が環境に与えている影響は大きい。そして、単純系より複雑系のシステムを採用するべきだということ。化学的肥料を使い、一年生作物のモノカルチャーを行うことは非常に分かりやすく食料生産性を上げる方法だった。が、そうした近代的な手法は土地の炭素吸着力を大幅に低めてしまった。アグロフォレストリーのような様々な生命が共存する複雑系のシステムを採用することで、生産性と土地の炭素吸着力を上げることができる。その土地ごとに変わる複雑な土地管理を実現することが今後のカギになるだろう。
地球温暖化を逆転させることは極めて困難だが、現人類にとっては急務である。希望を失わず、進むべき道を提示した本書は人類の指針になるに違いない。

一言コメント

地球温暖化を止めるためのそれぞれの施策について、科学的に効果を試算した本です。これらを一つ一つ実践していくことによってのみ、地球の運命を変えられるのでしょう。環境問題を考える上でまず読むべき本です。
2022/5/1

『言ってはいけない宇宙論』

基本情報

書名著者読了日評価分野
言ってはいけない宇宙論小谷太郎2021年8月1日⭐️⭐️Science

読書メモ

本書は、現代物理学が未だに残す謎について語る。
大統一理論は陽子崩壊を予言しているが、カミオカンデ実験は陽子崩壊の兆候を全く捉えられず、新たな理論が求められている。(カミオカンデは代わりにニュートリノを観測し、それが基で2つのノーベル賞が生まれた。)
ブラックホールが蒸発するかは全くの未知である。ブラックホールの情報パラドックスを解消する理論を、人類は未だ持っていない。
量子力学は非常に有用な理論であるが、その根底の仕組みに対する解釈は割れている。波動関数の収縮を仮定するコペンハーゲン解釈が一般的ではあるが、エヴェレットの多世界解釈も多くの信奉者を抱えている。この仮説は実証しようがないため、論争が終わることはないだろう。
宇宙が定常的かは長く論争になってきた。宇宙が加速膨張しているという最新の観測結果と、ビックバンの残り火である宇宙マイクロ波背景放射は、宇宙は非定常であることを示しているが、そのことはさらなる謎を生んでいる。暗黒物質と暗黒エネルギーは宇宙質量の95%を占め、正体について様々な仮説が提示されてきたものの、未だに謎のままだ。
重力と量子論の統一は非常に難しい。重力が弱すぎるがゆえに、量子サイズで重力効果を観測するには、加速器のエネルギーが足りそうにない。宇宙という実験場で発生する重力波のような現象が、謎を解き明かすカギとなるだろうか。
なぜ我々の住む宇宙、地球はこんなにも都合がいいのかという問いに対しては、人間原理以外の有効な解決策は提案できていない。
本書で様々な観点から述べられているように、宇宙は全く分かってない。だからこそ宇宙論は面白い。

一言コメント

我々人類がいかに宇宙を全く分かっていないかということがよく分かります。ただ、これだけ知らないことが分かったことそれ自体が前進であったのかもしれません。これらの謎が今世紀中に解かれることはあるでしょうか。
2022/5/1

『宇宙は何でできているのか 素粒子物理学で解く宇宙の謎』

基本情報

書名著者読了日評価分野
宇宙は何でできているのか 素粒子物理学で解く宇宙の謎村山斉2021年7月31日⭐️⭐️⭐️Science

読書メモ

宇宙というものすごく大きな世界の秘密を解き明かすカギは、ものすごく小さな世界にある。極大な世界を扱う宇宙論を深めていくと、極小の素粒子論に行きつくのだ。本書は宇宙論と素粒子論の基礎を分かりやすく説明する。
20世紀初頭に「2つの暗雲」が物理学を覆っていたように、21世紀初頭の宇宙論は「いかに我々が宇宙のことを全く知らないか」が分かってきた状態だ。宇宙に存在する暗黒物質については全く正体が分かっていない。宇宙を加速膨張させている暗黒エネルギーについてはさらに謎に包まれている。
そんな宇宙の謎を解き明かすには、極小の世界の仕組みを知る必要がある。それは、宇宙の始まりは小さく熱かったからだ。極小の世界を知るための武器は加速器である。人類は加速器実験により、素粒子の謎に迫り、その過程で、宇宙に存在する4つの力の仕組みも少しずつ分かってきた。CP対称性の破れという小林・益川理論が証明されたことで、素粒子標準理論はおおむね完成したが、まだ謎は残っている。電磁気力と弱い力の圧倒的な不均衡はなぜ生じるのか、などだ。
本書は最後、未だに残る宇宙論の謎を説明して終わる。あまりにも弱い重力を他の3つの力と統合する理論は全くできていないし、暗黒物質・暗黒エネルギーの謎も残っている。物質はあっても反物質がない理由もわかっていない。
マクロの世界の謎がミクロの世界の実験によって少しずつ解き明かされていく過程は非常に面白い。本書が執筆された2010年時点からも、ヒッグス粒子の観測や重力波天文学の創始といった新しい動きがあった。21世紀に宇宙論を覆う暗雲は、今後どのような新しい理論を生むのだろうか。

一言コメント

宇宙という極大の世界の謎を解くカギが素粒子の極小の世界にあるというのは本当に不思議です。宇宙論の今後が気になります。
2022/5/1

『Humankind 希望の歴史(上)』『Humankind 希望の歴史(下)』

基本情報

書名著者読了日評価分野
Humankind 希望の歴史(上)ルドガー・ブレグマン2021年7月30日⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️Philosophy
Humankind 希望の歴史(下)ルドガー・ブレグマン2021年7月31日⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️Philosophy

読書メモ

(上)
筆者は説く、人間の本質は善であるーと。今まで数々の言説によって、人間の本質は悪だと主張されてきた。しかし、人間の本質を悪だとする主張は事実を正しく捉えていないし、予言の自己成就のメカニズムを通じて、人間を実際に悪にしてしまうという意味において最悪なのだ。人間性に対して悲観的・冷笑的な見方をすることが常識となっている世界で、人間の善性を強調することは非常に挑戦的に見える。しかし、自ら人間性を貶めることによる悪のループから人間を救うためには、こうした希望に満ちた主張が、今最も求められているのではないだろうか。
本書ではこの主張を裏付けるため、ヒュドラのように恐ろしい「ベニヤ説」―人間の本質は悪だという「神話」―を一つずつ反証していく。
「蠅の王」は無人島に漂着した少年たちの恐ろしい争いを描いたが、現実に起きた「蠅の王」の物語は、人々の善性を示す美しい物語だった。ホモ・サピエンスは武力や知力で秀でていたわけではなく、「ホモ・パピー」として自らを家畜化し、協力が可能になったことで、人類種の頂点に立った。マーシャル大佐の事例は、戦場という極限的な場所にあってさえ、人間は人を殺せないということを物語る。考古学の証拠は、狩猟採集民は決して野蛮な殺人者ではなかったことを示している。結局、ホッブズの性悪説とルソーの性善説でいうとルソーの主張が正しかった。人間は本来善性を持っているが、農耕が始まり、文明が生まれ、一握りの残酷なリーダーに支配されたことで、数々の悪なる行動に走ってしまったのだ。
一方、ここまでの主張だけですべての問いに答えられたわけではない。人間の善性を主張する上で絶対に越えなくてはならない壁がある。それは、アウシュビッツをどう考えるか、という問題だ。理性と啓蒙主義の国ドイツで起きたユダヤ人大量虐殺という悲劇。それはまさに人間の悪なる性質の表れではないかーと。
筆者はアウシュビッツ後の思想的潮流の中で行われ、人間の本質は悪だと主張する根拠となった実験を反証する。スタンフォード監獄実験は捏造にまみれ、ミルグラムの電気ショック実験は「権威への服従」の事例とはいい難い。アーレントがアイヒマン裁判から導き、彼女の真の考えから独り歩きしてしまった「悪の陳腐さ」の主張―すべての人に悪が宿っており、アイヒマンは普通の人間にすぎない―は、決して真実ではない。アウシュビッツは、人間の善性がナチスの繰り返しの洗脳によって歪められた結果起きたのだ。
主張や出来事は人間の悪性を強調するよう婉曲して広められる。深く事実を分析してみると、我々はそれほど悲観的になる必要がないということがよく分かるのだ。

(下)
上巻で人間の善性を示した筆者だが、下巻は善人がなぜ悪人となってしまうのかに関する分析から始まる。
第2次大戦のドイツ軍の抵抗は、戦友に対する共感によって支えられた。人々は決して望んで人を殺し、死んでいったわけではなかった。権力者によって敵に対する共感の感情を失うよう仕向けられ、戦友への共感の意識を利用されたのだ。ではなぜ、本来友好的で善なる人間が、人を戦争に送り出すような恥知らずな人間をリーダーに据えてしまうのだろうか。これは、マキャベリの君主論がリーダーに読み継がれ、ノセボ効果を生んでいるからであり、権力を保持することは必ず腐敗を生むからである。
ここまで文明による善性の喪失が語られてきたが、これは、近代以降克服されるように見えた。理性と啓蒙主義によって。しかし、啓蒙主義もまた道を間違えてしまった。人間の悪性を仮定したことにより、その予言が自己成就してしまったのだ。
これから先、人類が運命を変えるには何をすればよいのだろう。人の善性を信じる、信頼に基づく新たな現実主義を導入することだ。
従業員を信じれば、複雑な経営管理など必要ない。報酬はかえってモチベーションを失わせる。子どもの時間を縛るのではなく、彼らの自由に任せることが必要だ。政治権力は広く分かち合う。コモンズは失敗しないので活用しよう。
何より大切なのは、思いやりと信頼をもって人と関わることだ。ノルウェーの刑務所は受刑者に好待遇を保証する。この結果、人を次々に収監しているアメリカより遥かに再犯率は低くなっている。南アフリカのアパルトヘイト廃止に向けた歴史は、対話が信頼を生み、社会の分断を克服できる可能性を教えてくれる。
人が人に思いやりと信頼をもって望めば、きっと向こうもそれに答えてくれる。第1次大戦の塹壕において、クリスマスに自然発生した休戦のように。相互不信の運命を変えようではないかーと。
全く希望の書と言うにふさわしい。人間の善性を信じよう。そして、少しでもすべての人がお互いを尊重し合える世界に近づくことを祈らずにはいられない。

一言コメント

人間の本質は善である―と説いた素晴らしい希望の書ですが、人間の善性を大きく揺らがす悲惨な侵略戦争が始まってしまった今、どこか虚しさを感じてしまいます。ただ、それでも、人類への希望は失ってはいけないと同時に思います。人間観を根本的に変えてくれる素晴らしい書で、是非多くの人に読んでほしいです。
2022/5/1

『21世紀の文化人類学』

基本情報

書名著者読了日評価分野
21世紀の文化人類学前川啓治他2021年7月11日⭐️⭐️⭐️⭐️Anthropology

読書メモ

21世紀の文化人類学はどこに向かうのか―それを何人かの文化人類学者が語る。
文化人類学の扱う学問的主題、「他者の文化を知り、何かしらの一般的な理論を見出すこと」は本質的に非常に困難である。フィールドワーカーは所属する文化や言語によって思考や表現が規定されている。そんなフィールドワーカーが、調査先の文化を相対的に見る(=超越的視点を持つ)ことは根源的に不可能だ。
文化人類学が今まで作り上げてきたものは「民族誌」の厚い記述であるが、ポストモダンの影響を受けた1980年代の『文化を書く』論争の中で、「民族誌」は客観的たりえないという自己批判がなされる。この後、一般的理論を語れない文化人類学は知的世界をリードできず、衰退していく。そうした中で文化人類学はどこに向かうべきなのかが事例を基に語られる。
一つの道は、存在論的転回で、自身が自文化に規定されていることを認識しつつ(=超越論的視点を持つ)、対象となる人々自身が自らを知る知り方に接近することで自らを変容させ、我々が自明視しているものの相対化を一層推し進めるという動きである。「われわれ」は「かれら」をただ観察するのではなく、「われわれ」と「かれら」がともに新しい記述を「発明」するのである。例えばストラザーンは、メラネシアの世界に「indivisual」概念と対立する「分割可能な人格」を見出した。ヴィヴィエロス・デ・カストロは「パースペクティヴィズム論」を唱え、自明だと思われていた自然/文化の対立さえも曖昧にして見せた。こうした文化人類学の考え方は他の社会科学にも影響をもたらしうるに違いない。
他の道として、時間を超える必要性が語られる。人類学は「かれら」の文化をある意味固定的なものと想定していたが、「かれら」の文化それ自体日々生成・変化するものである。歴史の視点を取り入れた文化人類学が求められている。
文化人類学がいかに実践に関わるかというのも重要な点である。災害後における被害者の状況調査や、反差別運動、開発に対して文化人類学は重要な役割を果たしうるが、「厚い記述」の長い時間性はその役割を阻害しており、そこにある権力性の批判にとどまり実践につながらないといったケースも多かった。実践につながる文化人類学が求められている。
1冊を通して極めて難解な議論が展開される。文化人類学は、超越論的視点を持ったうえで文化を理解し、何かを語ろうという取り組みであるが、その厳格すぎるほどの知的な誠実さにより自己批判を起こし、何も語れなくなった部分があったのではないか。一方で、「われわれ」の思考を相対化する文化人類学の価値は、リキッドモダニティの時代において非常に高まっているはずだ。
文化人類学が自己批判を自ら超克し、知的世界をリードすることが、社会科学ひいては人類に大いに貢献することだけは間違いないだろう。

一言コメント

文化人類学の専門書ですが、専門外の人間には極めて難解でした。文化人類学自体、社会科学の中で知名度が低い印象ですが、そこから学ぶべきことは多くあります。このレベルの書を読みこなせるようになるまで、文化人類学に対する理解度を高めたいですね。読書メモも頑張って書いた記憶がありますが、内容が合っている自信はありません。
2022/5/1

『国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源』『国家はなぜ衰退するのか(下):権力・繁栄・貧困の起源』

基本情報

書名2021年7月4日書名著者読了日評価分野
国家はなぜ衰退するのか(上):権力・繁栄・貧困の起源ジェイムズ A ロビンソン, ダロン アセモグル2021年7月4日⭐️⭐️⭐️Development
国家はなぜ衰退するのか(下):権力・繁栄・貧困の起源ジェイムズ A ロビンソン, ダロン アセモグル2021年7月4日⭐️⭐️⭐️Development

読書メモ

(上)
世界にはなぜ豊かな国と貧しい国が存在するのか。地理的な要因か、それとも文化・遺伝的な要因があるのか。
筆者は説く、「そうではない、すべてを決めるのは制度だ」と。
本書は、いわゆる「制度学派」の筆者がその主張を一般向けに分かりやすく解説したものである。世界を見回してみると、地理的にはごく近いにも関わらず、全く違う運命を辿った地域の例がいくつも見つかる。ノガレス市はアメリカとメキシコにまたがるが、両国で町の様相は全く異なる。同時期に見つかった「新大陸」の内、北米大陸は繁栄を謳歌しているが、南米大陸では未だに悲惨な不平等と貧困が残っている。こうした運命の相違を、地理説、文化説、無知説のいずれもが十分に説明できない。国境をまたいだノガレス市の違い、それは制度が「包括的」か「収奪的」かということだ。包括的な経済制度の下では、人々は自らの能力を生かし、生産性を高めるインセンティブを持つ。それがイノベーションを生む。一方、収奪的な経済制度の下では、生産性を高めるインセンティブはなく、イノベーションも生まれない。政治制度も経済制度と不可分に結びついている。包括的な政治制度と包括的な経済制度の組み合わせが持続的な発展を生む。植民地支配を行ったスペイン、1960年代までのソ連のように、収奪的な政治・経済制度の下でも発展が生まれるケースはあるが、持続可能ではない。
こうした制度の違いを生んだもの、それは恐らく歴史的偶然に過ぎない。ヨーロッパを例にとると、ペストの流行によって西欧で収奪的な封建制が崩壊し、東欧では逆に封建制が強化されたことが、両者の運命を分ける転換点となった。これは偶然に過ぎないが、その結果として東欧ではなくイングランドで名誉革命が起き、包括的な政治・経済制度が繁栄をもたらしたのだ。

(下)
下巻でも上巻に引き続き、制度の重要性を具体例を基に語る。西欧は包括的な政治・経済制度によって発展したが、その帝国主義は被支配地域には収奪的な制度を強要した。こうした支配制度は植民地支配を脱した後も引き継がれ、現代にいたるまでのグローバル・サウスとグローバル・ノースの格差を生んでいる。オーストラリアやニュージーランドは同じく植民地ではあるが、収奪の対象になるだけの先住民がいなかったこともあって包括的な政治・経済制度が導入され、西欧と同じような発展を経験した。中央集権的な幕府に代わり、薩長を中心とする各藩が団結し、政治改革を成し遂げたことで、日本は植民地支配の例外になることができた。
それでは、制度を変え、発展への道を進むには何をすればよいのだろうか。制度の大きな特徴は、正のフィードバックがあることだ。包括的な政治・経済制度の基では、相互の信頼が生まれ、発展によって制度が安定する。一方、収奪的な政治・経済制度の基では、収奪からの報酬、すなわちレントが大きく、悲惨な紛争・内戦に陥る可能性が高い。そうした紛争が社会の崩壊を生み、一層包括的な政治・経済制度の実現を難しくするのだ。
こうした運命を反転させる魔法の処方箋は当然存在しない。間違いないのは、ただ国家間援助を実施すればよいというわけではない、ということだ。少しでも多元主義が実現するよう働きかけるしかないのだろう。
本書は一般向けだけあって、現実をやや単純化しすぎているという印象は受ける。制度だけで決まることはなく、国としてのソーシャルキャピタルといった要素も運命に大きく影響するだろう。しかし、貧しい国の運命を変えるために、制度を考えることの重要性を問いかけたことは、開発の世界に大きな影響を与えたに違いない。

一言コメント

いわゆる「制度学派」の入門書。数年ぶりの再読です。間違いなく国の運命を決めるのは制度だけではないですが、制度が占める要素が大きいというのも事実であるように思います。開発経済は学生時代の専攻ではあるので、この分野は引き続きウォッチしていきたいですね。
2022/5/1

『精密への果てなき道:シリンダーからナノメートルEUVチップへ』

基本情報

書名著者読了日評価分野
精密への果てなき道:シリンダーからナノメートルEUVチップへサイモン ウィンチェスター2021年7月3日⭐️⭐️⭐️Science

読書メモ

人類は果てしない道を歩んでいる、「精密さ」へとー。本書は「精密さ」を巡る人類の物づくりの歴史を語る。
「精密さ」を初めて求めたのは18世紀ジョン・ウィルキンソンと言われている。彼は精密な蒸気機関を作り上げ、産業革命が走り出す力を生み出した。この時、公差は0.1インチ。精密さという意味ではまだ物語は始まったばかりだった。その後、魅力的な人々によって公差はどんどん小さくなっていく。錠前や互換性のある精密な部品を作ったブラマーやモーズリー、銃の部品の精密さを引き上げたブランチャード、ねじを規格化したホイットワース。この古典的な時代に公差は0.0000001インチとなっていた。
その後物語は現代的な生産に向かい、精密さの度合いは加速していく。フォードは精密なベルトコンベヤ型の生産体制を築いた。ホイットルはジェットエンジンでの高度1万メートルでの飛行のため、さらなる精密さを実現した。ハッブル宇宙望遠鏡に積まれた主鏡やGPS、集積回路といった事例は、人類が際限なく精密さを追求していく過程を表している。現代の人類が精密さの集大成、それは重力波を観測するLIGOである。その分解能は、ケンタウルス座α星までの距離が人間の髪の毛ほど変わっただけで検知できるほどだ。
これは公差にして0.00000000000000000000000000000000001の世界になる(0が35個)。全く狂気というほどないレベルの精密さがまさに目の前にあり、人類はそれでも満足せず、精密さを追求し続けるのだ。
ここで筆者は一つ問いを投げかける。精密さだけがすべてなのか、と。筆者は日本に「精密ではないもの」の美しさを見る。日本では精密ではない自然の材料を用いた物づくりがずっと行われてきた。一方で高度な科学技術を持ちながら、一方では「人間国宝」による手作りに価値を見出している。筆者はその2面性にこそ学ぶべきだと説いて終わる。
狂気なほどの精密さは確かに人類に知恵をもたらしてくれているが、一方で精密ではないものを愛する姿勢は確かに素晴らしい。そういう文化が残っている日本だからこそ、忘れてはいけない視点を気付かせてくれた。

一言コメント

精密さの歴史という独自の観点に惹かれて即購入しました。とにかく今の精密さの度合いには驚かされます。他にない視点での科学史の本、非常に面白い内容でした。
2022/5/1

『超加速経済アフリカ』

基本情報

書名著者読了日評価分野
超加速経済アフリカ椿進2021年6月27日⭐️⭐️Development

読書メモ

近年アフリカは劇的に成長している。本書はアフリカの「ファクトフルネス」を分かりやすく解説する。
アフリカは広大で、国によって発展度合いは異なるが、日本の発展の歴史と対応させると、各国でのビジネスチャンスが見えてくる。ラゴスやナイロビは一人当たりGDPが3000ドルに達し、大型ショッピングセンターができ、新車や家電の需要も激増する収入レベルになっている。今後日本の発展の道筋をたどるように、さらなる需要が生まれてくることは間違いない。
リープフロッグという言葉が近年話題だが、アフリカでは従来型のインフラ整備が進んでいない一方で、インターネットが急速に普及し、新しいサービスが生まれている。伝統的な市場や規制がないからこそ、新しいチャレンジをする障壁は非常に低い。電子カルテやドローン輸送といったサービスは、日本よりもアフリカにおいて発展しているのである。
本書は学術書ではなく、ビジネス界に身を置く筆者がアフリカの可能性を一般向けに解説した本である。そのため、ありがちなアフリカ楽観論になっているという印象は受ける。アフリカの発展を妨げる障壁は多く、現実は簡単ではないはずだ。ただし、アフリカへの関心が薄い日本においては、まずはこうした楽観論が大事なのかもしれない。

一言コメント

アフリカの今を語った本です。21世紀はアフリカの世紀と言われて久しく、現にアフリカの経済発展には目を見張るものがありますが、未だにアフリカへの関心は低いのが現状です。アフリカはあまりにも遠く、やはり様々な面で日本と異なるところが多いので、一方でそれは仕方ないように思いますが。21世紀のアフリカの未来をそれほど楽観視してよいのかは分かりませんが、少なくとも偏見を排して今のリアルを知ることは間違いなく必要でしょう。
2022/5/1

『すばらしき新世界』

基本情報

書名著者読了日評価分野
すばらしき新世界オルダス・ハクスリー2021年6月27日⭐️⭐️Literature

読書メモ  ※ネタバレを含みます

人々は皆健康で、煩わしい人間関係はなく、欲望のままに生きられる。困ったときにはソーマが幸福をくれる。ああ、すばらしい新世界。すばらしい新世界?
ここで描かれる世界では、私たちが「人間らしさ」と感じるものが奪われている。子どもは人工的に産まれ、家族は解体されている。連帯は作られたもので、幼少期の洗脳によって考えが限定され、社会の安定が実現している。人間は厳密に階級分けされ、それが身体的・知的能力の差として表れている。文化・芸術も不要なものとして排除され、浅薄な娯楽が中心的になっている。
本書のストーリーは、様々な登場人物を軸に展開する。中心にいるのは、文明の中にいながら文明に適合できなかったバーナード・マルクスとヘルムホルツ・ワトソン、そして野人ジョンである。シェイクスピアを暗唱できるジョンは、現代でいえば文明的な人間だが、作中では野蛮な見世物としてしか扱われない。自然な愛情を求めることも狂っているとみなされる。そして最後には悲惨な結末を迎える。彼のような人間が「野蛮」として排斥される、すばらしい「文明」の世界―これ以上ないほどの皮肉ではないか。
ハクスリーの描いたディストピアはリアルで、現代まで読み継がれているだけのことはある。幸福薬ソーマや、遺伝子改変が技術的に可能になりつつある現代では、本書はより一層重要度を増している。このディストピア小説を通じ、ハクスリーは「人間らしさ」とは何だろう?どういう社会を望むのか?ということを問いかけたかったのかもしれない。

一言コメント

超有名なディストピア小説です。皆満足しているのに、これだけ最悪な世界を描けるのは見事です。すばらしき新世界というタイトルの皮肉が刺さります。幸福薬ソーマもおとぎ話の世界ではない現代、改めて読まれる価値がある作品です。
2022/5/1